Dec 23, 2017 column

燃え尽きる直前にバンドの純心と欺瞞を縫合し、臨界点にて自らへの哀悼の意を凍らせた最後のオリジナルアルバム。それが『PSYCHOPATH』である。

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シンセサイザーの綺羅びやかなリフをイントロに持つ「LIAR GIRL」は、US東海岸のバンドを意識したUKのバンドのような音触を従えており、美しく暗いその楽曲風情は、バラエティに富んだ楽曲を内包したアルバムの底辺に横たわっていると思う。
トラック5の疑似ライブ処理を施された「RENDEZ-VOUS」にはLIVE IN HAMBURG JULY 1987というサブ・タイトルが付けられているが、ここに、ザ・ビートルズが正式にリンゴ・スター氏をメンバーとして迎え入れる前の時代、1960年(当時は西ドイツの)ハンブルクでクラブ巡業をしていた通称ハンブルク時代を当てはめてみると興味深い。BOØWYもまた、過ぎ去りし高崎での日々や去っていった仲間とともに小さなライブハウスでギグを繰り返していた時代を回想しているのだろうか? という読みもできなくはない。音楽を小悪魔に見立て、袋小路の末端でエネルギーだけを放射していた時代は、遥か遠くに行ってしまったのかもしれないが、確かに存在していたのでもある。その事実を本作のパイロット・シングルとなった「MARIONETTE」に投げかけてみるなら、いろいろなことに雁字搦めになったMarionette=BOØWYという図式が浮かび上がってくる。

ところで、87年にはまだアナログレコードが特別扱いされずに流通しており、アナログ盤では「MARIONETTE」でA面が終了する。「PLASTIC BOMB」からB面がスタートし、アルバム・タイトル楽曲「PSYCHOPATH」が鳴り終わったあとにフェイド・インしてくる「CELLULOID DOLL」の布袋寅泰さんのカッティング・リフと焼き焦げていくが如きギターソロは、バンド最終章の高みへの寸止めであろう。ザ・ポリスのレゲエ的編曲を彷彿とさせる「FANTASTIC STORY」にて、氷室京介さんは“飛べないイカロス達”と歌う。美術作品『イカロスの墜落』を引き合いに出すまでもなく、飛翔できないイカロスを待ち受ける事象は死である。クリアトーンのギター・バッキングが、歌詞内主人公の清廉な感情を下支えする「MEMORY」から「季節が君だけを変える」に至る抒情的なストリーム=流れは、聴く者の恣意的な寸断(飛ばし聴き)を間違いなく拒むはずだ。

そして、87年のクリスマス・イヴにBOØWYは解散を宣言した。怒号とともに破られた渋谷公会堂のガラス扉を余所目に、喧騒の聖夜にコートの襟を立て公園通りを下ったあのミックスト・エモーションは一生忘れることはないだろう。
今年もあのメランコリックにして解消の仕方がわからない感覚に苛まれながら酔没する季節がやってきた。
さて、今年はどうしようか?

 

(付記)
1:PSYCHOPATHとは、今で言うところの統合失調のことか、はたまた解離性障害のことを指すのか?本作リリース直後にセットされたBOØWY最後のツアー“ROCK’N ROLL REVIEW DR.FEELMAN’S PSYCHOPATHIC CLUB BAND TOUR”の各地で氷室さんは「また会おうぜ!」とMCした。そのことにも関係するPSYCHOPATHであるなら、それは虚言による自己憐憫にすぎない。虚言による自己憐憫はPSYCHOPATHとは違う。だが、心の奥底に潜む名状しがたいもの~ここでは仮に“火竜”と呼ぶ~により自己が分断され、瑣末なことも大切なことも脈絡なく心象として立ち現れることを火竜が引き起こす脳内出来事として捉えるならば、それはPSYCHOPATHと規定してもいいと思う。が、そもそもPSYCHOPATHを厳密に規定するのがバンドあるいはミュージシャンのやるべきことではなく、多様な楽曲を収録したアルバムをPSYCHOPATHと名付けようとする行為そのものがロックバンドであろう。音楽や楽曲そのもの以上に、投げかける視線こそがロックなのではなかろうか? 
ちなみに敬愛する名探偵シャーロック・ホームズ役を演じた俳優のベネディクト・カンバーバッチ氏は、BBCのTVドラマ『SHERLOCK』のシーズン1の中で「僕はサイコパスじゃない。社会不適合者(High Function Sociopath)だ」なる台詞を残している。

2:本作のリリースからちょうど30年が経過した。流れ往く季節が僕やリスナーを変えたのか?それともマジック・サマーに立ち尽くしたままなのか?どちらでもないし、どちらも正解と言える。ただし、BOØWYのいた時代は歴然として存在した。今回のシリーズを通してバンドと音楽と時代を捉え直すことができたのであれば嬉しく思う。
大衆音楽の重要な特性として“フィードバック効果”があることは、誰もが認めるところ。楽曲が鳴った瞬間に、熱烈に聴いていた時の人・こと・モノが思い出されるのである。してみると、その効果は音楽を熱心に聴いた者たちだけに訪れるものでもある。

 

読者諸氏に……長々と並べてきたゴタクにお付き合い頂きまして、ありがとうございました。関係各位にも感謝しております。
ではこれにて、ひとまず筆を置こうと思う。
昭和が終わり平成が始まり、その平成も終わることが決まった2017年・平成29年の師走に。

 

 

関連サイト

 

<現存する唯一のBOØWY公式アーカイブ・サイト>
http://sp.boowyhunt.com/

佐伯明

1960年 東京都国立市生まれ

中央大学文学部仏文科卒。17歳の頃から音楽雑誌に投稿をはじめ、以後、自称“音楽文化ライター”として現在に到る。

著書として「路傍の岩」(ソニー・マガジンズ)のほかに「らんまるのわがまま」(音楽専科社)、「音楽ライターになりたい」(ビクター・ブックス)「B’z ウルトラクロニクル」「ミラクルクロニクル」(ソニー・マガジンズ)などがあり、共著に「桑田佳祐 平成NG日記」(講談社)「徳永英明 半透明」(幻冬舎)「もういらない 吉田拓郎」(祥伝社)などがある。

独自の文体と鋭い音楽的視点は、リスナーから高く評価され、アーティストの間にも‘佐伯ファン’は少なくない。

現在、FM横浜にて「ロックページ〜ミュージック・プレゼンテーション」の構成を担当
https://twitter.com/RockPage_847

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佐伯明blog 音漬日記 参
http://otodukenikkisan.blog.so-net.ne.jp/

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