Aug 25, 2019 column

京アニ事件から1ヶ月 暴力性にメディアはどう向き合うのか

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7月18日の京都アニメーション放火事件から1ヶ月以上がすぎた。いまだに心の整理がつかない。僕だけではなく多くの人がそうだろう。まして被害にあった当事者やその御遺族、友人知人をはじめとした関係者であればなおさらであると思う。結局、何であったのか。何がターゲットとされ、ナゼその人たちが喪われなければならなかったのか。何1つわからないままだ。ハッキリしているのは日本の犯罪史上、前代未聞の大量殺人が起こったこと。亡くなられた35人は戻らないこと。いまだ30名を超える被害者が苦しんでいること。吹き出した悪意に対して「何1つわからない」ということはこれほどの恐怖だったのかと思い知らされる。

事件直後。多くのメディアが伝えたことの1つが「京都アニメーションとはどういう会社で、どういった作品を作ってきたのか」「それはどれほど世界中で人気があったのか」「日本のアニメ産業においてそれはどのような意味とポジションを持ち得たものであったのか」などの説明だった。アニメ研究者の方々などによって多くが世間に伝えられた。

平行して、悲しみに暮れる数多くのファンの姿と、世界中の様々な業種や団体からの弔意や支援表明が伝えられることとなり、日頃アニメには全く目が向いていない人たちも、どれだけ大きなものが失われた事件であったのかを認識した。

しかし失われたものの大きさと明確さに反し、「なぜそれは失われることになったのか」ということはわからないままだ。

今月10日発売のアニメ3誌(アニメージュ、アニメディア、ニュータイプ)には3誌連名による哀悼を示す広告が掲載された。が、3誌ともそれ以上の記事はない。各誌の編集後記の欄で幾人かの編集者のかたが哀悼と悲しみと怒りを記しているにとどまっている。記事には無いことは現時点でのそれぞれの編集判断でもあるのだとも思うが、同時にこれも「何1つわかっていない」ことへの困惑をも表していると思う。まして月刊誌であればそれらは事件直後のことだったろう。何にどう向き合うのか、全てがわからなかったのではないかと思われる。

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