早くも一年の半分が終わってしまったが、振り返るととにかく「アニメ映画を追いかけるのが大変だ」という印象だ。 アニメファン外の知人は「今年はアニメ映画が元気だねえ」と言っているが、やはりそれほどの活況に見えるのだろう。 16年に『君の名は。』の大ヒットや、『聲の形』『この世界の片隅に』といった話題作・注目作の登場後、アニメ映画の興行ウェイトはちょっと変化したと思う。“広い層”をターゲットとして意識した作品もそれまで以上に増えてきた。もちろんディズニーのような“広さ”を意識した作品は過去にもたくさんあったし、日本でも代表的なのはスタジオジブリ作品がある。しかしそれらとは異なる、ここでの“広い層”とは「アニメファンではないがアニメ作品を見ることには抵抗がない10代~20代」とか、ざっくり言ってしまえば『君の名は。』ヒットを後押ししたような層を意識した作品だ。今年はそれが立て続けに公開されている。
現在公開中の『きみと、波にのれたら』もそういった1本になる。
(公式サイト:https://kimi-nami.com/)
『夜明け告げるルーのうた』『夜は短し歩けよ乙女』が国内外で高い評価を受けた湯浅政明監督の劇場用オリジナル新作。
自分が何をしたいのかがまだ見えていないサーフィン好きな女子大生・ひな子と消防士の青年・港が恋に落ちるが、港は不慮の事故でこの世を去ってしまう。しかしある日、ひな子が2人の想い出の歌を口ずさんでいると、目の前の水の中に港が現れて…。
物語前半は2人の甘い恋の日々。後半は予想外の展開が続いていく。生者と死者。けして触れあうことが出来ない2人の再会を通して、残された彼女の喪失感と“その先”に向かうドラマが描かれる。
湯浅監督作品といえば衝撃的であった『マインド・ゲーム』や、TVシリーズ『ケモノヅメ』『四畳半神話大系』『ピンポン THE ANIMATION』『DEVILMAN crybaby』など、いずれもかなりクセの強い作品が印象にある。あれらの作品に惹かれていたファンからすれば「本当にこれは湯浅作品なの?」と驚くほど作品カラーが真逆だ。『夜明け告げるルーのうた』もかなり広い層を意識していた作品であったが本作はそれ以上に徹底していて、恋愛ドラマの王道中の王道といった感すらある。実際、監督自身からも本作では前述したような“広い層”をかなり意識したことが語られているが、その点で同監督の作品歴を振り返ってもかなり異色であり挑戦的といえる。
「リア充向けの作品」などという反応もあるが、見ている方が照れてしまうほど、まさに“バカップル”という表現がお似合いな前半の徹底した甘さは独身中年恋人ナシが見ても不思議なくらいの多幸感があり、それゆえに観客もまた彼女の喪失感を共有することとなる。たんに甘いだけ、恋人と死別する悲しさが生む涙といった部分だけではなく、そういった見る者の感情をどうシンクロさせるのかという引き込み方は見事だ。また、タイトルにもある「波にのる」も複数の意味を持たせた言葉として使われていて、見た目からうける「恋人が死んで感動を生むような安易な作品」「全てをセリフで説明してくれるような作品」とは一線を画している。
物語の中心となるのは、喪失のその先をどのようなことから何を見つけだしていくのか?というテーマ。
恋は呪いのように人の心を惑わせる。だが本当に呪いであるなら、それは当事者たちにとって不幸でしかない。本作はその呪いを抜けた先に広がる風景を見せることを目指している。その“先”にある物を見つけられるかどうかが呪いとしての恋であるのか、そうではない価値のあるものであるのかの違いだ。哀しみから立ち直るだけではなく、「人は他者のために何が出来るのか」ということが軸であり仕掛けでもあるドラマはその解呪を見事に描いた。
主人公が経験する出来事は悲劇だが、その後のドラマとメッセージが的確に伝わってくるため、見終えたときには不思議なくらいの心地よさがある。劇場を出たときにちょっと風景が変わって見えるようになる作品というものがあるが、本作もそれだった。
アニメーションとしての魅力も全編にある。様々な表情を見せる海や水の表現。湯浅作品に共通する影ナシで描かれたキャラクターたちのイキイキとした動き。『ルー』でも見せてくれた音楽の使い方の楽しさなどはやはり湯浅作品の魅力そのままだ。 現れた港の姿はナゼ彼女にしか見えないのか?彼女と彼の描かれ方はどのようにされているのか?など細かい掘り下げができる描写もあり、王道を行く“広い層”を意識した作品ではあっても、湯浅監督らしい「クセ」が全く無いということではないのもちょっとした仕掛けだ。
こういう作品の場合、必ずと言っていいほど「実写ではダメなのか」という反応を見せる向きもいるのだが、これらの人間の動きや風景の明暗といった 全てを計算し生み出せるアニメーションの画ならではの物語性は実物を撮影しても同じ感動を描けるものではない。