だが、僕らを魅了したのはそういった作品の中身だけではなかった。1作目『マクロス』、および劇場版で企画の中心となったのはまだ20代そこそこの若い才能たち。バルキリーをデザインした河森正治や、キャラクターデザインの美樹本晴彦ら、まだ20代の若手スタッフだった。「てれびまんが」ではなく『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』といった「アニメ」の受け手でありファンであった若者らが作り手にまわった瞬間であり、その象徴が『超時空要塞マクロス』だった。放送が日曜の午後2時というとんでもない時間であったにもかかわらず多くのアニメファンが釘付けとなった。(このあたりから社会大多数に先駆けてアニメファンのビデオデッキ普及率が高まっていくことになるが、それは別の話なのでさておこう)
こういった若いスタッフは、僕にとって少し上の世代になる。それが中学生だった僕には先行したファン代表のようにすら感じられた。 ああ、そうか。僕らは受け取るだけではなく、送り出す側にもなれるのだ。そして、送り出せる年齢、時代へとなってきたのだ。それを見せつけてきたのが『マクロス』だったのだ。 時代が流れゆくものである以上、黙っていてもいずれ新たな世代の作り手の時代はやってきただろう。だが、いつの間にか世代交代がされていたのではなく、劇的に素人目にも感じられるものとして現れたことは一種の革命性ですらあった。その革命性に魅了された人も多いのではないかと思う。当時の僕もそうだった。
だが、革命性への魅了が受け手の若さによるものであるならば、年齢を経ればそれは変わる。『マクロス』シリーズを見続けてきた中、ある時期から別のことに目が向くようになった。
ただ若者が中心となるだけであれだけのTVシリーズをまとめきれ
『マクロス』はこれに成功したのだろう。そしてそれは今なお傑作と呼ばれる84年の劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』へと結実し、さらには数十年続くシリーズへと成長していく。
かつて1作目を見て「受け取るだけではなく、送り出す側にもなれる」「送り出せる年齢、時代へとなってきた」と心躍った僕らは、どのような道を選んだにしても今や確実に若手ではない。石黒昇監督が『マクロス』1作目において企画の中心にいた若手らを支えまとめあげ、後の日本アニメ界を牽引していく人材を輩出する一端の仕事をしたのは40代半ばのことだった。あらためて驚かされる。今の僕よりも若かったのだ。
『マクロス』とは何だったのか? ナゼいまだに僕らを魅了するのか? それは作品の中身だけではなく、制作舞台裏にも数多くの時代の変化を生み出した出来事があり、それを成立させたものがあったからなのではないかと思わされる。時代を変えるというのは決して自分本位のことだけなのではなく、そういうことをも含めているのではないか。自分は後続を残せるのか。いや、それだけの能力があるのか。この年齢で『マクロス』を見返していると、ふと、そんなことを示されている気がしてくるのだが、そこにまた37年を経て新たな魅力を感じてしまうのだ。
文 / 岡野勇(オタク放送作家)