Dec 05, 2018 column

メジャーアニメ制作会社の譲渡に感じる、日本コンテンツ文化・産業の未来

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TVアニメでは「新作が年間数100タイトルになる」であるとか「中国や北米の海外配信事業者も日本のアニメーション製作に続々と参入し投資がされている」であるとか、表向きは活況に“見える”。しかし、SNSを見ていても業界内部からの現場の限界を嘆く声は毎日のように流れていて、目にしたことがあるかたもいるだろう。制作数が業界全体でカバーできる量を完全に超えているとはよく聞く話だ。作品数は増えた(プラットフォームが増えた)。だが人材は増えていない。プロジェクトとしての規模は大きくなったが現場におりてくるお金が爆発的に増えたわけでもない。

あまりメジャーに語られることはなかったが、実は似た問題は放送番組をはじめとしたその他の映像コンテンツ産業においても起こっていた。90年代後半からのBS、CS、CATV。さらにこの数年ではネット配信番組。それらが爆発的に増えたが、かといってそれらは予算が潤沢にあるものばかりではない。加えて、作れる人(特にディレクター)が足りていない。そのため予算が低いCSなどの番組では、それまでは番組制作の経験が無かったような会社や人材までもが入ってきた。地上波のメジャー番組ばかりを手がけているような制作会社やスタッフの人らからすれば想像もつかないであろう超低予算で薄給の制作環境が蔓延した。 書きたくないが僕のような構成作家なんてのは低予算制作環境の中では真っ先に削られる。「台本もナレーション原稿もディレクターがやればお金がかからないでしょ」というわけだ。その結果だろうが、正直なとこ見ていて眉をしかめたくなるほど酷いナレーションの番組が本当に増えた。けど、その「お金がかからないでしょ」という判断を下す人たちにはそういうナレも上手いナレも同じに聞こえるのだろう。(それでもナレーションを付けられるような予算があればまだマシで、ほんとに低予算になるとナレすらも無い) こうした流れは、コミックや映画ジャンルからも時々聞こえてくる。

話が飛躍し過ぎているように思われるかもしれないが、連日話題となっている外国人材拡大法案にまつわるニュースを眺めていると、僕にはこういう問題が凝縮されている事例にしか思えない。ここまでは僕のフィールドである映像やその周辺の話を書いてきたが、介護にしたって何にしたって同じようなことになっている。介護職に就いている友人が数人いるが、話を聞くたびに現場の実情に驚かされる。外国人材の受け入れ制度は現状ですら問題だらけだ。あるニュースでコメンテーターが今出ている改案について「壊れた土台の上に家を新築するようなもの」と評していたのが印象的だった。人手不足から外国人材の必要性があることはわかるし、それは現実的な問題だ。だが、仕事や技術への対価を安く済ませるという発想に慣れすぎてやしないか?という印象がどうしてもしてしまう。

これらに共通しているのは「対価が確保される事業として成立させるには?」を計画する前に、とりあえず結論ありきで始めてしまっていることだ。現場は全く成立していないが、意地やプライドや生来の性格から頑張ってしまった人たちがなんとかしのいでいる。皮肉にもそれが始める号令を出した人たちには「なんとかなっているじゃないか」に見えている。先に書いた「酷いナレも上手いナレも同じに聞こえる人たち」みたいなものだ。「さすが人気のクールジャパン!」と言われているものの多くがそのやり方で疲弊し、壊れ始めているのに。どうしても僕にはこれらのニュースは、それぞれは全く別分野の別問題であるにもかかわらず根っこ課題が似て感じられてしまい仕方ない。