Dec 05, 2018 column

メジャーアニメ制作会社の譲渡に感じる、日本コンテンツ文化・産業の未来

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まもなく平成が終わり新たな時代になる。2020年の東京五輪、2025年の大阪万博に向けてそこから先の社会の未来を考えよう、レガシーだとも言われている。しかし“壊れている土台”の見直しはなおざりだ。見通しが甘い(もしくは“無い”)計画が生み出す悪環境。くわえて対価も低ければ人材などは来なくなる。外国人材の話で例えるなら、わざわざ日本を選んで来る理由が無くなる。映像事業においても同じで、未来を作るクリエイターの新人は業界に入ってこなくなる。エンジニアの世界ですでに起こったように、へたをすれば条件が良い海外のプラットフォームや映像産業に人材が流出していくかもしれない。実際、中国産アニメなどめまぐるしい勢いでレベルが上がっている。

文化や産業の途絶は多くの人が思っているよりも簡単に起こる。ちょっと気を緩めればそこまでだ。途絶する理由は技術や時代(ニーズ)の変化ばかりではない。産業への社会の考え方、生み出される物への認識や理解、そして対価の考え方の低下も理由となる。未来へのレガシーとは何だろう?作品を遺すことだけではなく、作り手が作り続けられる環境を構築し遺していくこともそれではないか。さらに言えば、劣悪な制作環境は人材も育たない。あらゆる意味で先行きが頭打ちだ。

アニメやTV番組、コミックや映画やゲームに限らないが、その産業の内包するリスクが末端にいる受け手にも見え始めている現状はもはやかなりの危険水域だ。遺し、繋いでいくのであれば、「アレをやりましょうコレをやりましょう」の前に“壊れた土台”を見直さなければならないデッドラインは目前に来ている。

文 / 岡野勇(オタク放送作家)