Mar 03, 2018 column

『あの花』から『さよならの朝に約束の花をかざろう』へ 脚本家・岡田麿里が監督として描いたもの、通底するテーマとは?

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『さよ朝』は本作を制作したP.A.WORKSの堀川憲司代表(本作プロデューサー)に「岡田麿里を100%さらけだした作品が見たい」と言われたことから始まり、それが初監督への挑戦にもつながったとある。地に足を踏ん張った作り手の生きる覚悟を晒け出させること。そういったことの全てが堀川Pが掘り起こしたかった岡田麿里という創作者そのものなのかもしれない。 誰にでもある弱さの部分をこの人は直視する。隠れていた強さもえぐり出す。自分が直視してきたことを隠さずに出してくる。「あの時にそうであったならどうなっていただろう?」というifをも物語とする。それがそのまま観客の心を掻きむしり、感情をかき立てる。パーソナリティに根ざしたそれをガチンコでぶつけてくるのだから、考え方によっては「こわい作品に感動してしまったなあ…」とすら思う。それをぶつけられたら観客だって自分の感動に覚悟をしなくてはならない。

それなのに、劇場を出るときに感じる幸せな気分は何なのだろう。見終えて数日、ずっとそれを考えている。でもそれは僕にとっての幸せ感であり、前記のようにこの映画が見た人がどのような立ち位置で見るのかによっても異なるものである以上、他の人は別の感動や幸せを感じるのだろう。 滅多に思わないことなのだが、「別の立場でこの映画を見たかったなあ」と感じる作品がある。たとえば細田守監督の『時をかける少女』と新海誠監督の『君の名は。』を見たときには「高校生でこれを見られる人がうらやましいなあ…」と本気で思った。僕が見ている物と全く違う物を感じ、全く違う感動をしていただろうからだ。そして『さよ朝』を見たとき、周囲の女性客の笑顔に「女性でこれを見たかったなあ」と初めて思った。おそらく彼女たちは僕が感じたのとは全く違う印象や感動を受けていたのだろうから。 面白かったとかスカッとしたといった印象で見終える作品は多い。しかし、幸せな気持ちだったと感じるような作品はどれだけあるだろう。それは快楽ではなく感情に突き刺さってきたという証でもある。この作品を見た後。あなたが感じ、それまでと違って見えるものはなんなのだろう。そこにこそ、この映画の伝えてきたテーマがあるのだと思う。

文 / 岡野勇(オタク放送作家)

映画情報

『さよならの朝に約束の花をかざろう』

監督・脚本:岡田麿里 アニメーション制作:P.A.WORKS 配給:ショウゲート 2018年2月24日(土)ロードショー http://sayoasa.jp/ ©PROJECT MAQUIA