『ボーンズ アンド オール』の企画を受け取ったとき、ルカ・グァダニーノはティモシー・シャラメとの再会だけを最優先事項に置いていたという。「(この映画を撮る)率直な理由はティモシー・シャラメです」と、ルカ・グァダニーノはそう語っている。『君の名前で僕を呼んで』の続編についてルカ・グァダニーノは口を閉ざしたままだが、本作でティモシー・シャラメが演じるリーの姿に、あの作品の少年エリオの幻影を見ることも可能だろう。ルカ・グァダニーノとティモシー・シャラメは、新時代のフランソワ・トリュフォーとジャン=ピエール・レオの関係のような美しいコラボレーションになり得る可能性を秘めている。それほどまでに本作のリーは、ティモシー・シャラメだけが演じることのできるキャラクターだ。
ティモシー・シャラメは本作の後に『Dune: Part Two』(原題)やボーカルとダンスのトレーニングを積んで挑んだという『チャーリーとチョコレート工場』のウィリー・ウォンカを演じる『Wonka』(原題)、ボブ・ディランの伝記映画が公開待機している。止まらないネクスト・ステップ。ティモシー・シャラメによるあの独特の軽やかな“ティミーズ・ステップ”の先には、楽しみが広がっているようだ。
本作はティーンによるカニバリズムを題材としているが、何よりもまず美しい青春映画としての味わいが刻まれている。異邦人の撮るアメリカの風景。そしてこの映画には『君の名前で僕を呼んで』とリメイク版『サスペリア』の映画作家による画面の趣向、テーマが見事に結実されている。本作はティモシー・シャラメが初めてプロデュースに名を連ねた作品でもある。「ホラーは愛に近い」と語るルカ・グァダニーノの進化=深化と、まだまだ勢いを止める気配すらないティモシー・シャラメのコラボレーションを心から祝福したい。
グランジ前夜、脆さの象徴
「カート・コバーンの自殺によって消滅した、男性の脆さとその世代の破滅」
出典:i-D [Luca Guadagnino: “Queerbaiting? What is that?”]
ーー ルカ・グァダニーノ
パールボタンのカーディガン、花柄のシャツやボロボロに破れたジーンズ。『ボーンズ アンド オール』のリー(ティモシー・シャラメ)は、ニルヴァーナがポップミュージックの景色を一変する以前のアメリカ、グランジの原風景に舞い降りる。ライオット・ガールの先駆者的バンド、ビキニ・キルの熱烈なファンであり、未来においてガールズバンドが世の中を席巻することを夢見ていたカート・コバーン。
リーの赤く染まった髪、痩せぽっちのパンク、そしてマッチョイムズとは相容れないフェミニンなパンクスのイメージは、カート・コバーンがインスピレーションになっている。ティモシー・シャラメの意見が反映されているというリーの衣装には、レーガン政権の好景気に見捨てられた80年代アメリカのティーンの姿が深く滲んでいる。
シアーシャ・ローナンとのフォトセッションにおける服装によるジェンダー観の入れ替え。ヴェネチア国際映画祭のレッドカーペットにおけるハイダー・アッカーマンがデザインを手掛けた背中を露出する深紅の衣装。本作のリーという役には、これまでのティモシー・シャラメのあり方が地続きで反映されている。そしてリーのフェミニンな佇まいは、80年代のアメリカの片田舎において追放された者による反逆の装いとなる。
魔女狩りのように世界から追放された恋人たちによるロードトリップ。本作はカニバリズムを扱った衝撃的な描写のある映画ではあるが、流れる血の香りと同じレベルで青春映画のほろ苦い香りを狂おしいくらいに放っている。イメージよりもエモーションを。衝撃よりも、それが引き起こす特別な感情を。
本作において感情の中心はマレン(テイラー・ラッセル)にある。マレンは自分が捕食者であること隠すため、それほど表情を崩すことがない。それは彼女にとってこの世界を生き抜くために身につけた術でもある。しかしマレンの研ぎ澄まされた五感がリーを捉え続ける。彼女の視覚と嗅覚、触覚がリーを捉える=捕える。
狂暴なくらい美しく、無防備で脆いリーのイメージをマレンの瞳は見逃さない。リーのイメージはマレンの、そして私たち観客の瞳に残像のように焼き付いていく。たとえば初めて2人がダイナーで食事をとるシーン。マレンはリーの挙動を細かく見ている。カメラはリーに注がれるマレンの視線の動きを捉える。マレンはリーに魅了されている。そして誰かに魅了されることは、どうしようもない不安に陥ることでもある。
「ティモシーは自分が演じるキャラクターの視点からだけでなく、映画全体の観点から考えることができる稀有な能力を持っている」
出典:『ボーンズ アンド オール』プレス資料
ーー ルカ・グァダニーノ
マレンだけを捉えていたら本作は成り立たない。同じようにリーだけを捉えていても成り立たない。テイラー・ラッセルとティモシー・シャラメという若い2人による演技プランの衝突、その完璧な相互作用によって、本作は特別な感情を引き起こすことに成功している。
ルカ・グァダニーノはティモシー・シャラメの撮り方を一番分かっている映画作家だ。本作には最高のティモシー・シャラメが収められている。ティモシー・シャラメという俳優は、対面する相手を輝かせる能力に長けた俳優なのだ。マレン=テイラー・ラッセルは、リー=ティモシー・シャラメのどんな挙動を見たのか。どんな声を聞いたのか。どんな香りを嗅いだのか。それらを触覚的な記憶として残していく。いつまでも唇に残り続けるキスの感覚のように。その官能性は強い郷愁と痛みの感情を引き起こすものでもある。ゆえにこのロマンスはせつない。