Sep 29, 2017 column

あの優しくあたたかい『ひよっこ』の物語をどのように作りあげたのか?菓子プロデューサーに聞く制作の舞台裏

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なぜ、舞台が赤坂だったのか

 

──架空の村から東京に行くまでの時間や交通機関もちゃんと設定されているんですね。

話を作るに当って、まず、スタッフが手分けして取材して、こういう話があります、こういう話はどうでしょうと、岡田さんに日々提案していきました。『ひよっこ』はオリジナルな分、岡田さんの頭の中にある世界が大切ですから、僕ら制作チームは、有効な情報やアイデアをどれだけ岡田さんに渡せるかを重視していました。例えば、ファーストシーンの情景——田んぼが広がって、朝食がこんな感じで、卵がごちそうで……というような、64年の農村の暮らしは、地元の農家の方に取材した上で描かれたものです。あと、東京の向島電機のディテールは、当時、集団就職でトランジスタ工場に勤めていた方々に、うちのディレクターが食い込んでいて、同窓会に伺ったり文通したりして、寮ではどんなことがあったか取材しています。ホームシックにかかったとか、お母さんから小包が届いて嬉しかったとか、そういう実話の断片が脚本にも活かされています。

──NHKさんの機動力や取材力を生かした細やかなデータを、岡田さんがチョイスして脚本に取り入れていくわけですね。

通常のドラマでも、そうやって作っていますが、『ひよっこ』はとりわけ取材に力を入れました。モチーフとなる実在の人物がいない分、架空のキャラクターにその時代の事実を肉付けして、本当に生きているように感じてもらいたかったからです。50年くらい前の話なので、当時の話を知っている視聴者の方々も多いですから、その方たちに嘘に見えたらいけないというのもあって。例えば、まだ電話は取り次ぎだったとか、白黒テレビはほとんどの家にあって布がかかっていたとか、そういう細かいことまでリアルに描きました。先程お話した奥茨城村から東京までの経路と時間は当時の時刻表を調べて計算しましたし、洋食屋さんにも1日密着取材して、「ドキュメント72時間」みたいな参考映像も作りました。農業担当、工場担当、赤坂担当、芸能界担当など手分けして、当時のニュースや流行を調べて、ところどころ時代とリンクするようにしています。

──オリンピックの時に、茨城で独自の聖火リレーをやっていたという実話に基づいたエピソードは秀逸でしたね。

オリンピックからはじめようと思った時、僕が勝手に、主人公が田んぼのなかの一本道を走っていて、沿道で村人たちが応援しているというファーストシーンを想像していて。チーフ演出の黒崎博さんとロケ地探しする時、良さそうな一本道ばかり探していました(笑)。

 

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──ロケハンにも力を入れていたんですね。あかね坂の祠にもリアリティーがありました。

あれも実際あるんですよ。赤坂をグルグルまわっていて、鈴降稲荷のある路地をみつけて、この裏にアパートがあったらいいんじゃないかって、スタッフみんなでイメージを共有して、岡田さんに相談して、そこから発展させていきました。

──そもそも、なぜ赤坂を舞台にしたのですか?

岡田さんが、『ひよっこ』を書くに当って、必ずやりたいと言っていたのが、ビートルズの来日エピソードでした。あの時、ビートルズが泊まったのが赤坂のホテルだったので、赤坂を舞台にすることは早くに決まっていました。

──実(沢村一樹)の工事現場が国会議事堂のそばだったからじゃなかったですね。

そちらは後づけです。まず「赤坂」というキーワードを元に、住んでいる方々にお話を伺ったら、とても魅力的な街であることがわかりました。鈴子さん(宮本信子)の台詞にあったような、政治家の家の子も、芸妓さんの家の子も、みんな同じという発想があったことがわかってきて面白くなっていきました。例えば、3つの小学校を統廃合する時に、当然、揉めるわけですが、それを鈴子さんのような地元のリーダー格の人が、校舎はAを使って、校歌はBを使って、校章はCを使ってみたいな感じでうまく話をまとめたとか、面白いエピソードがいっぱいありましたよ。