Aug 06, 2017 column

第1回 『ちゅらさん』に感じる、朝の祈り

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今日も1日いい日でありますように

 

この原稿が掲載される8月の上旬は、原爆が落ちた日や終戦記念日やお盆が重なっていて、日本人は自ずと死に向き合うことになる。でも、実際のところ、死を思うこと(メメント・モリ)は、8月に限ったことではない。毎日が記念日ではないが、毎日誰かの命日であり、毎日誰かの誕生日でもある。

だからなのか、人間誰もが朝起きた時、窓の陽光に、今日も明るい朝を迎えられた感謝を少なからず抱き、今日も1日、良い1日でありますようにと祈りに似たような思いを少なからず感じているはずだ。朝のニュース番組で、天気予報や占いをチェックするのも、今日1日、いい日でありますようにという、そんなささやかな祈りのひとつではないだろうか。

朝ドラが1961年からはじまって、半世紀以上にわたり、明治、大正、昭和、平成と近代を生きて来た女性とその家族たちを中心にした物語を描き続けていることは、ご先祖様を思い出し、祈る儀式のようにも思えてくる。そんなことを敬虔にも感じてしまうのは、『ちゅらさん』の全156話に、亡くなった人々への優しい想いが通奏低音として流れていたからだろうか。

第二次世界大戦以降、日本には戦争がなく、「平和ぼけ」なんて言葉も出てくるくらいだったが、何が凄いことが起こるかもと思わせた世紀末も何事もなく過ぎた2001年、『ちゅらさん』放送中に9.11ニューヨーク同時多発テロが起こり、世界に対する価値観はガラリと変わり、否応なく、戦争や死を思うことも増えた。その後、11年には東日本大震災が起こり、平和ぼけしている場合ではなくなっていく。2017年になると、どこかからミサイルが発射されたというニュースがしょっちゅう飛び交い、なにげない日常が続く空の上ではミサイルが飛んでいるという、なんともシュールな、漫画かアニメのようなことになってきた。

「私が誰かを救えるわけじゃないし、誰かの運命を変えることもできないと思います。でも笑ってもらうことはできるじゃないですか」とえりぃは言い、『ちゅらさん』はあくまでも、明るく笑顔で生きていくドラマではあるが、『ちゅらさん』が誕生した時から、私たち日本人の運命は、なにやら大きな渦に巻き込まれているような感じもする。だからこそ、「笑う」こと、「愛する」ことがいっそう大事になっていく。

矢野顕子に、『PRAYER』(作曲はパット・メセニー)という歌がある。朝でなく夕暮れが舞台の歌ではあるが、しんみりと、愛する人のことを想う(祈る)歌だ。『ちゅらさん』の明るいノリとは違うのだが、なぜか、不思議とこの曲が、頭をよぎる。もちろん、kiroroの主題歌『Best Friend』は、当然一番イメージに合っているのだが。「まだまだやれるよ♪」のメロディラインにはいつだって励まされる。
今日も1日、いい日でありますように。

 

作品紹介

 

連続テレビ小説 第64作『ちゅらさん』

2001年4月〜9月放送 制作:NHK東京 作:岡田惠和 出演:国仲涼子ほか
沖縄で生まれ育った主人公えりぃが、初恋の人・文也を追いかけて上京。看護士になり、文也と結婚し、男の子を出産。やがて、医者である文也と共に、沖縄に戻って、診療所を開くことになる。
時代:1983年〜2001年

木俣冬

文筆家。著書『みんなの朝ドラ』(講談社新書)、『ケイゾク、SPEC、カイドク』(ヴィレッジブックス)、『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』(キネマ旬報社)、ノベライズ「連続テレビ小説 なつぞら」(脚本:大森寿美男 NHK出版)、「小説嵐電」(脚本:鈴木卓爾、浅利宏 宮帯出版社)、「コンフィデンスマンJP」(脚本:古沢良太 扶桑社文庫)など。 エキレビ!で「連続朝ドラレビュー」、ヤフーニュース個人連載など掲載。 otocotoでの執筆記事の一覧はこちら:[ https://otocoto.jp/ichiran/fuyu-kimata/ ]