Dec 23, 2016

特集3361

肝付兼太、野沢雅子、2人の“レジェンド”が導いた声優・山口勝平誕生“前夜”

山口勝平さんインタビュー 声優前夜編

       arranged by レジェンド声優プロジェクト

レジェンド声優プロジェクトがアレンジする声優インタビューシリーズ。今回は、90年代からのアニメ作品を語る上で外せない、山口勝平さんに登場いただきます。
まずは、声優・山口勝平誕生“前夜”。声優になるまでを振り返ります。

 

 

──まずは山口さんが声優になったきっかけ、経緯を教えていただけますか? これまでお話を聞いたレジェンド声優の皆さんは子役からキャリアをスタートしたという方が多いのですが、山口さんの場合はどうだったのでしょうか? 大ブームとなった『機動戦士ガンダム』(1979年)なんかはちょうど思春期のころですよね。やはりアニメ大好き少年だったのでしょうか。

小さいころは『タイガーマスク』(1969年)や『いなかっぺ大将』(1970年)、『ど根性ガエル』(1972年)といったテレビアニメが大好きだったのですが、高校に上がってからはバンドとかバイクとか、他のことにハマり始めたりして、あまりアニメを見なくなっていました。年齢とともに普通にアニメを“卒業”した感じで……。当時としてはそれが普通だったんですよ。ガンダムとかはまさにちょうどその頃だったので、リアルタイムでは見てないんですよ。

ただ、子供の頃から学芸会などで“演じる”ことは好きでした。ちょっと目立ちたがり屋なところもあったのかな。それで、高校を卒業したあと、漠然と役者になってみたいと考え、生まれ育った福岡から上京したんです。

──子役ではないものの、やはり「役者」がスタート地点なんですね。

当時はまだインターネットもありませんでしたから、地方と東京で10年くらい文化や情報に格差があったんじゃないかと思えるほどで、福岡では本格的な演劇なんて見られませんでした。なのでそもそもどうやれば役者になれるのかも全然わからなかった。

そんな中、少ない情報をかき集めてアナウンス系の専門学校を見つけまして……方言とかも直さないといけないですからね。 そこに行けばアクセントが直せるかなあと思いまして(笑)。

──なるほど。方言の問題もあったんですね。

その専門学校には新聞奨学生をやりながら通っていたんですが、ある日、新聞にチラシを折り込んでいく作業をしている時に、声優の野沢雅子さん(『銀河鉄道999』鉄郎役など)が講師をやっているという学校の広告を見つけまして。そこでは肝付兼太さん(『ドラえもん』スネ夫役など)も先生をやっている、と。

──以前、野沢さんにインタビューさせていただいたとき、確かに肝付さんに誘われて声優学校の講師をやっていたとおっしゃっていました。ちょうど、その頃だったんですね。

そうなんですよ。野沢さんと言えば、僕が子供のころに夢中になって見ていたアニメのほとんどで主役をされていた方。それで「野沢さんに会ってみたい」って気持ちもあってその声優学校に週1で通うことにしました。

 

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──そして、この決断が声優・山口勝平の原点となるわけですね。学校ではどういうことを教わったんですか?

肝付さんのクラスに配属されたのですが、肝付さん、ちょうど劇団21世紀FOXを立ち上げたばかりだったので、授業で舞台の話しかしないんですよ。舞台は面白いって(笑)。それで、役者になりたくて上京したものの、何をすれば役者になれるのかわからなかった自分に舞台っていう選択肢が見つかって、FOXの舞台も見たことないくせに、劇団に入れてください、ってお願いしました。

まずは稽古の様子を見学させてもらったんですが、その熱量がすごくて。その雰囲気にやられちゃったんです。この中に入ってみたいって思わされてしまいました。

──当初はどんな役をやらせてもらっていたんですか?

とはいえ、もともとは裏方として入れてもらったんです。そのうちに少しづつちょい役をいただけるようになって。でも、それがすごく楽しかった。バイトに行って、稽古に行って、寝る。その繰り返しだけで充分幸せじゃないかって。気がついたらあっという間に3、4年が経過していました。

──あっという間に3、4年が経過したということですが、逆にそれで不安になったりはしなかったんですか? 自分はプロになれるんだろうか、とか。

そんなことを感じるヒマがありませんでした。漠然と役者になりたくて東京に出てきてしまったときもそうなんですが、「絶対なれる」と思っていなかったのと同時に、「なれない」とも思っていなかったんですよ。自信はまるでなかったんですが、悲観もしていなかったんです。

──初めて舞台に立たせてもらったのはいつ頃なんですか?

劇団に入って1年ちょっとしたくらいじゃなかったかな。もちろん端役ですよ? そのころは、新しい芝居の本をいただくと登場人物の数を数えて、自分にまで役が回ってこないかなあと想像を巡らせていましたね。登場人物の数が多いと、役が回ってくる可能性も高くなりますから(笑)。

あと、座長の肝付さんが役者と演出を兼ねていたので、その代役に選ばれると稽古中はずっとその役をやらせてもらえるんですよね。とても良い経験になっていたと思います。

──そうした中で、印象に残っている役はありますか?

芝居を初めて3年目くらいの頃、北村想さんの『踊子 THE DANCER MURDER CASE』という作品で初めて主役に抜擢されたんです。雪に閉ざされた山荘の中で次々と殺人事件が起こっていくという作品なんですが、主人公の少年探偵役をやらせていただけることになって……。これはやっぱり思い入れが強いですね。

──初主役が「探偵」というのは、その後の山口さんの当たり役の1つである『名探偵コナン』(1996年)の工藤新一役を彷彿させますね!

その次の芝居ではセリフが一言しかない役だったりするのですが、不思議なもので、肝付さんの繋がりで、たまたまその芝居を見に来られていた音響監督の斯波重治さんに声をかけていただき、アニメの声優を始めることになりました。

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