Mar 12, 2016 interview

第2回:水島裕は“今”が最も充実している

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レジェンド声優:水島裕
インタビュアー:藤井青銅(放送作家
/作家/脚本家)

 

 

藤井青銅 
(以下 藤井)

70年代、子役としてマルチに活躍していた水島さんが、アニメ声優という仕事に出会ったきっかけを聞かせてください。

水島裕 
(以下 水島)

確かその頃は子役のアニメの仕事ってあまりなかったと思うんですよ。アニメではほとんどの作品で大人の女性声優が子供役を演じることになっていたので、そもそも需要がなかったんですね。実写映画やドラマの吹き替えなど、ごくごく限られたものしかありませんでした。

藤井

でも、当時は「持ち役」と言って、一度、その役者の声を担当すると別作品でもその声を担当するという慣例がありましたよね。声の仕事自体は多かったんじゃないですか?

水島

石丸博也さん(ジャッキー・チェンの吹き替えなど)は今でも持ち役がありますけど、僕はなぜか声を担当した役者さんがなぜかどんどん廃業してしまいまして……。当時は外国俳優の鬼門なんて言われていました(笑)。

藤井

いやいや、それは単なる偶然でしょう(笑)。

水島

アニメの初仕事は何だったかなぁ。記憶が定かではないのですが、おそらくは『草原の少女ローラ』(1975年)だったと思います。自分のオンエアを観ない派ということもあって、ほとんど覚えてないんですよね。すみません。

藤井

そんな水島さんが、自分を「声優」だと認知するようになったのはいつ頃なんですか?

水島

正直言って、けっこう経ってからですね。80年代頃までは、“声だけの人”と思われるのがイヤで、「俳優」であることにこだわっていました。それで事務所を変わったりもしているくらいですから……。今では「声優」と呼ばれることになんの違和感もありませんが、それも声優であることを認めたというより、こだわりがなくなったという感じなんですよ。アニメ声優としての仕事も、『連想ゲーム』のようなタレントとしての仕事も、10年以上やっている『ひるおび!』のナレーションも、歌の仕事もラジオDJとしての仕事も、みんな垣根なく楽しんでいます。

 

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藤井

そのあたりも声優を目指して声優になったわけではない「レジェンド声優」世代ならではですね。ところで水島さんは、以前のイベント(「古川登志夫と平野文のレジェンドナイト」スペシャルトークイベント)で「自分にはアニメ声優としての代表作がない」とおっしゃっていましたが、そんな中、あえて“これ”という作品を挙げるとしたらどれになるでしょうか?

水島

今でも多くの人に「見てました」と言われるのは『魔法の天使クリィミーマミ』(1983年)の俊夫、『花の子ルンルン』(1979年)のセルジュ、『六神合体ゴッドマーズ』(1981年)のタケルあたりでしょうか。セルジュなんて、物語の最後にちょっと登場するだけなんですけどね。毎週、朝一集合で収録だったんですが、そういうキャラなのでお昼過ぎ、収録の終わりごろまで出番がなくて困りました。だって、いざマイクの前に立つと、ずーっと黙っていたもんだからセリフが出ない。気取った感じで「この花の種を育ててみませんか?」って言わなきゃいけないのに、口が回らないんです。

藤井

それ、昼くらいにスタジオに行くのではダメだったんですか?(笑)

水島

いやいやとんでもない。当時は途中からスタジオ入りなんて考えられませんでしたよ。チョイ役でかり出されることもありましたしね。

藤井

なるほど。そして、やはり認知度の高かった作品のキャラが人気のようですね。

水島

ただ、一方で自分の中では、ついこの間の作品なのですが『寄生獣 セイの格率』(2014年)への思い入れも強いんです。今までやったことのない役だったということで、とても大きな充実感がありました。

藤井

大ベテランとなった今でも“やったことのない役”というのがあるんですね。

水島

あります、あります(笑)。今の自分は「過渡期」なんだろうなと思っています。春からの新番組でもおじさん役をやるんですよ。現場では大塚明夫さん(『ブラック・ジャック』ブラック・ジャック役など)と一緒なんですが、彼に「裕さん、やっと実年齢に近い役がきましたね」なんて言われてます。自分としても、そこが求められるようになったのがとてもうれしい。そして、それとは逆に『銀魂°』では火星仁なんてふざけた名前のタコ役をやったり(笑)。そういうのができる面白さを今、ひしひしと感じています。

藤井

皆さん、それこそが年齢と共に外観に縛られてしまう俳優とは異なる、声優ならではの醍醐味だとおっしゃいます。

水島

この年齢になって、今までやってこなかった部分が拡がっていくのはとても楽しいですよね。

藤井

それは若い頃にはなかった感覚ですか?

水島

忙しかった時期は、むしろ意図的に鈍くなっていたと思います。80年代の最も忙しかった時期には17本もレギュラー番組があったので、一本一本、丁寧に取り組んでいく時間が獲れなかった。そして、そうなると好奇心がなくなっていく、心が死んでいくんです。あの当時は自分なりにベストを尽くしたつもりでいましたが、今にして思うと……ということはありますね。ですから、今がすごく楽しいですよ。ああでもない、こうでもないと試行錯誤できる喜びを感じながら演じています。歌手のさだまさしさんからも「還暦は今の時代なら80歳くらいだよ」と言われて納得しました。あと20年は現役でがんばります!みなさん、がんばらせてね(笑)

 

構成 / 山下達也  撮影 / 田里弐裸衣

 

 

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水島 裕(みずしまゆう)

1956年1月生まれ。DJ、アイドル声優として人気を得、親しみやすく明るいキャラクターが受け、NHK総合『連想ゲーム』のレギュラー解答者など、クイズ・バラエティ番組等でタレントとしても活躍。趣味も幅広く、ガラス工芸、A級ライセンス(四輪)、スキューバライセンス、現代狂言など。主な声の出演にサモ・ハン・キンポーの吹き替え、「魔法の天使クリィミーマミ」俊夫役などがある。NHK「連想ゲーム」などテレビ出演も多く、現在はTBS系「ひるおび」(月~金11:00~13:50)でナレーションを務める。著書に『口ベタでも大丈夫 困ったときの質問会話術』(亜紀書房)。

 

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藤井青銅(ふじいせいどう)

23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」…など多数。
現在、otoCotoでコラム『新・この話、したかな?』を連載中。