Oct 31, 2015 interview

第1回:ラジオリスナーから薦められた「声優」という道

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レジェンド声優:平野文
インタビュアー:藤井青銅(放送作家
/作家/脚本家)

 

 

藤井青銅
(以下 藤井)

平野さんも古川さんと同じく児童劇団からこの世界に入ったんですよね?

 

平野文
(以下 平野)

そうですね。私にとって学校終わってから稽古に行くとか、舞台に出るとかは普通のことで、ピアノやバレエを習うのと同じ感覚でテレビ局に行っていました。

でも子役の仕事って当時はドラマくらいですよね。……私、それがそんなに好きじゃなかったんですよ(笑)。何でわざわざ他人を演じないといけないんだろうって。芝居そのものにあまり興味がなかったんです。いろいろやらされること自体は苦ではなかったんですけど。

 

藤井

そんな平野さんが声の仕事を始めたきっかけは何だったんですか?

 

平野

17歳の時に、劇団からラジオDJのオーディションがあるけど行かないかって聞かれて……それがすごく面白そうだったの!

その頃ラジオで「ウルフマン・ジャック・ショー」に夢中になっていて。ほかにも細川俊之さんの「ワールド・オブ・エレガンス」、日下武史さんのラジオドラマ「あいつ」、それと城達也さんの「JET STREAM」……どうして皆、あんなに素敵にしゃべれるんだろう、なんで音楽みたいにしゃべれるんだろうって。すごくラジオの“中”に興味があったんです。

 

 

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藤井

オーディションの結果はどうだったんですか?

 

平野

それが3本立て続けにお仕事をいただくことができました。

最初のNHKラジオ「若いこだま」では普通のおしゃべりが、TBSのオートバイの番組では洋楽をかけてその曲紹介させてもらうのが楽しかったな。最後の1つはフォークソングの番組なんですが、それは毎回ゲストが来る番組で……当時まだ新人だった井上陽水さんとか、新人同士で一緒に番組を作っていこうって感じがすっごく面白かったです。

で、大学卒業後はどうしてもやりたかった深夜放送をやることに(文化放送『走れ歌謡曲』)。深夜放送って受験生がハガキを送ってくるじゃない? その中に看護婦さん風に「がんばって!」って言ってくださいとか、応援団調で言ってくださいとか、そんなのがたくさんあって(笑)。

そんなことをやっていたら、あるときリスナーさんから「文さん、声優をやってみたら」って言われたんです。

 

藤井

こんなにできるんだから、アニメに向いているんじゃないのかって思われたんでしょう。

 

平野

実は私、子役時代にアフレコは経験していたんですよ。昔のテレビ番組って、ロケの時に風が強かったり、ロング(望遠撮影)だったりすると、音声だけを別撮りするということがあったんです。

そこで自分の口パクにもう1度、自分で声を合わせるっていうのをやっていたので、あ、それならできるかもって。あともう一つ、ラジオの音楽紹介の時に、イントロの決められた時間の中に言いたいことを詰め込むというのがすごく快感で、それもアニメのアフレコに似ているなって。

それで受けさせてもらったオーディションが『うる星やつら』(1981年)のラムちゃんだったんです。

 

藤井

デビュー作=決定版みたいなものだったんですね。自分が声優になったと思われたのもこのとき?

 

平野

『うる星やつら』は4年半続いたんですけど、新人は私くらいで、後は皆さん、テレビで聞いたことのある声のベテランばかり。

所属した事務所(東京俳優生活協同組合)もアニメをやる人たちがそのために立ち上げた日本で初めての事務所だったので、小林清志さんや羽佐間道夫さん、中村正さん、城達也さんらそうそうたるメンバーが集っていました。

そんな、憧れの声の人たちと一緒に仕事をさせていただく中で、私は声優になったんだなって実感しました。

 

藤井

DJだけでなく、声優にもなれた、と。

 

平野

そうですね。ちなみにベテラン声優の皆さんは普段喋っている声も、そのままなんですよ。スティーブ・マックイーンがいて、ディーン・マーティンがいて……それにはすごくドキドキしました(笑)。

小さな頃から子役をやっていたので、どんな有名な役者さんでも職場で会うただの仕事相手という印象だったんですが、声優さんの声はすごく耳に響きましたね。

この声だからこの役をやっているんだな、あの役だからこういう言い回しをするんだなっていう……私は実際の演技よりも、声の演技に敬服するタイプだったみたいです。

 

藤井

DJになった理由もそうですが、平野さんは聴覚が特に鋭敏ですよね。そして、それが番組のリスナーにはわかったからアニメの声優を薦めてくれたんでしょう。

 

平野

そうですね! ラジオのリスナーさんはプロデューサーでもあるなと思います。自分には見えないところを教えてくれる大切な人たちです。

 

(構成:山下達也 / 撮影:田里弐裸衣)

 

 

 

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平野 文(ひらのふみ)

 

1955年東京生まれ。子役から深夜放送『走れ!歌謡曲』のDJを経て、’82年テレビアニメ『うる星やつら』のラム役で声優デビュー。アニメや洋画の吹き替え、テレビ『平成教育委員会』の出題ナレーションやリポーター、ドキュメンタリー番組のナレーション等幅広く活躍。’89年築地魚河岸三代目の小川貢一(現『魚河岸三代目 千秋』店主)と見合い結婚。著書『お見合い相手は魚河岸のプリンス』はドラマ『魚河岸のプリンセス』(NHK)の原作にも。

 

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藤井青銅(ふじいせいどう)

 

23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」…など多数。

現在、otoCotoでコラム『新・この話、したかな?』を連載中。