レジェンド声優:古川登志夫
インタビュアー:藤井青銅(放送作家/作家/脚本家)
- 藤井青銅
(以下 藤井): 古川さんはこれまで多くの作品に出演されてますが、そのキャリアの中で、最も世間に認知された国民的作品と言ったら何でしょうか?
- 古川登志夫
(以下 古川): それはやはり『うる星やつら』(1981年)でしょうね。それまで何本も主人公をやっているんですけど、後になって皆さんが覚えていてくださるのはこの作品です。
テレビが4年半続いて、その後も劇場版をやったりしていますから、長くやったという意味でもこれが代表作でしょう。
- 藤井:
そういう“国民的アニメ”って、やっている最中はどういう感じなんですか?
- 古川:
やってるときは無我夢中ですよ(笑)。ただ、ファンレターをそれまでより多くいただいたり、バレンタインデーにチョコレートがたくさん届くようになって、それまでと違うなと意識しはじめましたね。これは声優としてのアイデンティティとして認知される作品になるのではないかと。
当時、そういった作品を早いうちにいくつか持てるようになりたいと思っていたのですが、『うる星やつら』はその最初の作品になってくれました。その後が『ドラゴンボール』のピッコロ、最近では『ONE PIECE』のエース。
主人公ではないのだけれど、多くの人に認知されるキャラクターを演じられたのはラッキーだったと思っています。
- 藤井:
古川さんが凄いのは、そういった国民的アニメのキャラクターを演じつつ、ほかのことも精力的にこなしていること。例えばご自身で劇団を立ち上げたりしていますよね。あれはどうしてなんですか?
- 古川:
児童劇団から大人になっていく過程で、一度、舞台俳優を目指したんですね。それが今の声優の仕事に繋がっていく面もあるんですが、同時に、それこそが自分の“原点”でもあるな、と。演技プランの立て方とか役作りの真髄みたいなものを演劇を通してたたき込まれてきたんですよ。それが今でも演劇をやり続けている理由ですね。
- 藤井:
演劇を続けることで、声優としての自分の原点を忘れないようにするということでもあるんですね。
- 古川:
片面しかない紙というものは存在しなくて、必ず裏面もあるわけで。二律背反というわけではないですけれど、切り離せないものとして自分の中にあるんです。
普段から自分ありきの演技みたいなものを意識しているのは舞台の影響なんじゃないかと思っていますね。“+αの演技”なんて言い方をしているんだけれども、古川登志夫がこの役をやったらどうなるのかというのを常に意識していたい。巧い人はたくさんいますから、その中で古川登志夫ならではの特質を加えていかなければならない。
10人が10人同じ演劇プランではつまらないじゃないですか。違っていていいんです。
- 藤井:
そして古川さんはその上でバンド活動(1978年に野島昭生、古谷徹らと「スラップスティック」を結成)などもされていますよね。あれはコミックバンドなんでしょうか(笑)
- 古川:
そう言うと一緒にやっていた古谷徹が「あれはロックバンドだ」と怒るんだけれども、僕らはあれをコミックバンドと言い続けています(笑)。
そして、あれは別にミュージシャンになろうとかそういうことじゃなくて……当時は番組で主役を獲ると、まずラジオの番組を持たせていただいて、主題歌、エンディングテーマを歌ってレコードを出したり、イベントに出たり、そこからいろいろな仕事が発生していたんです。
バンドを作ったのもその流れの一環で、自分でプランニングしてそうなったわけじゃないんですよ。当時は、歌手が声優をやるなんて流れも始まるなど、今のメディアミックスの時代にスライドしていく時代だった。全部なりゆきなんです(笑)。
- 藤井:
でもそのわりにはずいぶん長く続きましたよね。10年くらいでしょうか?
- 古川:
バンド活動は楽しかったですね。もちろんソロでやるのも楽しいんですけど、バンドには独特のものがありましてね。
皆で一緒に移動して、寝起きも共にするなどして、非常に結びつきの強い仲間ができました。あのときの体験は今でもいろいろなことで役立っていますし、いい想い出になっています。
(構成:山下達也 / 撮影:田里弐裸衣)
「古川登志夫と平野文のレジェンドナイト」 スペシャルトークイベント
古川登志夫(ふるかわとしお)
7月16日生まれ、栃木県出身。青二プロダクション所属。1970年代から活躍を続け、クールな二枚目から三枚目まで幅広い役を演じこなす。出演している主なアニメーション作品には、TVシリーズ「機動戦士ガンダム」(カイ・シデン役 1979~80年 テレビ朝日)、映画・TVシリーズ「うる星やつら」(諸星あたる役 1981~86年 フジテレビ)、映画・TV「ドラゴンボール」シリーズ(ピッコロ役 1986~97年 フジテレビ)、映画・OVA・TVシリーズ「機動警察パトレイバー」(篠原遊馬役 1989~90年 日本テレビ)、映画・TV「ONE PIECE」(ポートガス・D・エース役 1999年~)など多数ある。
藤井青銅(ふじいせいどう)
23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」…など多数。
現在、otoCotoでコラム『新・この話、したかな?』を連載中。