タランティーノが望んだエンディングの理由
スコットはキャスティングについてもタランティーノの意見を聞いたが、頑として我を通したところもあった。それがエンディングだ。タランティーノ版では最後、クラレンスは血みどろになって死ぬ。タランティーノの創り出した世界〈クエンティン・ユニヴァース〉では、クラレンスを失ったアラバマは『レザボア・ドッグス』のMr.ホワイトと出会うことになっている。実際、Mr.ホワイトは以前に組んだことのあるアラバマの話を出しているし、このふたりを描く作品も構想にあったようなのだ。
しかしスコットは、どうしても彼を殺したくなかった。「このキャラクターを愛しすぎているから、どうしても死なせたくない。ふたりが幸せなところを見たいんだ」と、スコットは熱心にタランティーノを説得。結局、「クラレンスが死ぬオリジナル・バージョンと生き残るスコット・バージョン、両方撮ってみていい方を取る」ということで決着がついた(この幻のエンディングは、一部のブルーレイの特典映像で見ることができる)。
タランティーノとしては、クラレンスは死なないなんてことはあり得ない。受け入れがたい提案だった。「ハッピーエンドなんてこのふたりにはふさわしくない、あり得ないよ。そりゃクラレンスが死ぬのは悲しいけど、あれだけ暴走したんだからふさわしい応報が来るべきだし、死によってカタルシスが生まれるだろ。死んでしまった彼が、みんなに懐かしく思い返されるって方が、俺の好みではあるんだよね。でも、完成した作品を見たらこれで正解だ、トニーの作品としてはこれでよかったと思えたけど」
わかる気がする。彼は、自分の青春そのものであるクラレンスに別れを告げたかったのだ。ほろ苦くも愛しい思い出を、せつないノスタルジーの中に葬りたかったに違いない。ときに、この男にはそういうセンチメンタリズム、ロマンティシズムがあるのだ。
彼のロマンティシムズは、もちろんラブストーリーとしての側面にもめいっぱい表れている。彼曰く「トゥルー・ロマンスってタイトルは皮肉でも何でもない。俺は本気でロマンティックな男なんだよ」。タランティーノが恋愛だけに終始する映画を撮ることは絶対にないと思う。しかし、彼にとっては『キル・ビル』も『ジャンゴ 繫がれざる者』も究極のラブ・ストーリー。だが、いまのところ、この処女脚本以上にロマンティックなラブストーリーは描かれていない。
そしてブルーレイの特典として収録された彼のコメンタリーを聞いていて、つくづく思った。これは彼自身の、映画に対する“トゥルー・ロマンス”の証なんだ、と。クラレンスが映画についての見解を述べるところで、彼は映画への純愛を吐露している。それは、映画オタクの心意気だ。曰く「映画オタクは人生のすべてを映画に捧げるものさ。金を儲けるためにじゃないよ。映画オタクでその情熱や執念を金に結びつけられる人なんて稀だからね。地位のためでもカネのためでもない、目的なんてない。あるのは映画への純粋な愛だけだ。映画というひとつの芸術のために自分の100%を捧げているんだ」。クエンティン・タランティーノは、映画への純愛に生きるアーティスト。その萌芽が、ここにある。