Jul 20, 2019 regular
#04

『ジャッキー・ブラウン』:タランティーノとブラック・ヒロイン

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若林 ゆり

映画・演劇ジャーナリスト。90年代に映画雑誌『PREMIERE(プレミア)日本版』の編集部で濃い5年間を過ごした後、フリーランスに。「ブラピ」の愛称を発明した本人であり、クエンティン・タランティーノとは’93年の初来日時に出会って意気投合、25年以上にわたって親交を温めている。『BRUTUS』2003年11月1日号「タランティーノによるタランティーノ特集号」では、音楽以外ほぼすべてのページを取材・執筆。現在は『週刊女性』、『映画.com』などで映画評やコラムを執筆。映画に負けないくらい演劇も愛し、『映画.com』でコラム「若林ゆり 舞台.com」を連載している。

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監督2作目の『パルプ・フィクション』で世界的な“ポップスター”となったクエンティン・タランティーノは、かなり慎重になっていた。3年以上もかけて熟考の末、彼が監督第3作として選んだのは「他人の原作を脚色する」というチャレンジだ。

『パルプ・フィクション』の約1年後、タランティーノは映画祭サーキットで親しくなった同世代の監督たち、アレクサンダー・ロックウェル、アリソン・アンダース、ロバート・ロドリゲスと4人で各1話ずつのオムニバス『フォー・ルームス』を作り、第4話『ペントハウス ハリウッドから来た男』を監督。それなりに楽しい作品になったが、これはあくまで「友人たちとのお遊び」。彼の監督作リストには数えられておらず、いまではあまり触れられることもない。また、大ファンだったTVシリーズ『ER:緊急救命室』の1エピソードの監督も経験した。そのほかの時間に彼が試みていたのは、俳優・クエンティン・タランティーノの確立である。脚本を書き、ロバート・ロドリゲスが監督した『フロム・ダスク・ティル・ドーン』で演じたリチャード・ゲッコー役は、俳優タランティーノの当たり役と言っていいだろう。

彼が俳優活動に力を入れていたのは、もちろん演じたいという欲求のためであり、ぜひ出てほしいとオファーされたためでもある(友人たちの作品へのカメオ出演が多かった)が、「自分がぜひ語りたいと思える物語が熟していなかった」せいでもあった。そのとき思いついたのが「他人が書いた物語を脚色しよう」というアイディアだ。そのころ彼のところに送られてきたのが、エルモア・レナードの最新作『ラム・パンチ』のゲラ刷りだった。「これだ!」と、彼は思った。「エルモア・レナード原作はイカしてるのに、その映画化ときたら、ほとんどがろくでもない代物ばかりだ。でも俺ならレナード作品独特の雰囲気やストーリーテリング、キャラクターの面白さをそのまま映画にできる。その上で俺らしさも存分に発揮できるぞ、ってね」

エルモア・レナードはいつだってタランティーノの好きな作家リストの筆頭にあり、ストーリー・テリングの上で多大な影響も受けていた。なんてったって彼は16歳のとき、Kマートでエルモア・レナードの本を万引きして捕まっていたのだ(警察に突き出されはしなかったが)。その本は、『ジャッキー・ブラウン』のメインキャラクターであるオデール(サミュエル・L・ジャクソン)とルイス(ロバート・デ・ニーロ)、メラニーが初めて登場した小説『ザ・スイッチ』だった。