Jan 26, 2020 interview

佐々木蔵之介が語る喜劇だらこその“痺れる緊張感”、映画・ドラマ・舞台それぞれの魅力

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先輩俳優としての意識、父の姿から学んだこと

──山田裕貴さん演じる“陶芸王子”と呼ばれるアイドル陶芸家・慶太が佐輔に悩みを打ち明けるようなシーンもありましたが、佐々木さんも佐輔のように、後輩の役者さんからアドバイスを求められたりすることはありますか?

例えば、歌舞伎や狂言は次の世代に伝えていくものだと思いますが、僕が後輩になにかを残すという考えは持っていないんです。というのも、僕が貴一さんのお芝居を見て学んだように、きっと後輩の役者さんたちも同じように先輩のお芝居を見て学んでいくのではないかと。ですから、“見られている”というのはつねに意識しなければいけないなとは思います。それは役者の仕事に限った話ではなく、例えば僕の実家は酒屋なのですが、物作りの精神や自分の仕事に誇りを持つことは父の働く姿を見て自然と学びました。直接父から教わったわけではありませんが、大事なことは側で見ていれば伝わってくるものなんですよね。この映画でも佐輔の息子が「お父ちゃんみたいに好きなもの作ってたらそれが仕事になった」と言うシーンがありますよね。そういった橋掛けは大切にしていきたいと思います。

“歪みこそが美しい”古田織部の精神

──劇中に登場する、武将茶人である古田織部の幻の茶器“はたかけ”には“歪んだものでもいいじゃないか”という歪みの肯定や歪みの美学がありますが、佐々木さんはそういった織部の精神についてどう思われますか?

「歪んでてもいい」と言ってもらうと救われますよね。パーフェクトな人間なんて一人もいませんから。ただ、だからといって単に歪んでいることを肯定しているのではなくて、パーフェクトであろうと思ってもそれぞれの個性があるから歪んでしまう、その歪みこそが美しいのではないかと。則夫も佐輔もどこか欠けている部分があって、そこを埋めようと必死になるからこそチャーミングに映るし応援したくなるんだと思います。そういえば、僕は織部の器を博物館でしか見ていませんが、貴一さんは実際に触る機会があったそうで「歪んでいても手にフィットするし、茶器としての機能を果たしている」とおっしゃっていました。パーフェクトな器を知っているからこそ、歪みのある織部の器のちょっと崩した感じが素敵だなと感じられるのではないかと思います。

──本作を観て骨董品と言われるような歴史ある茶器に興味が沸いたのですが、佐々木さんは骨董品についてどう思われますか?

骨董品と言われる物の価値はいかに歴史があるか、その背景はどんなものかで決まったりしますが、そう考えると古い歴史を持つ骨董品がより価値があることになってしまいますよね。ですが現代には現代人が作った価値ある物がたくさんあるので、骨董品も素敵ですが、現代人が作った物の価値や個性ももっと認めていかなければいけないなと思っています。