レジェンド声優インタビュー
田中秀幸[太郞&ジョン編]
arranged by レジェンド声優プロジェクト
アニメ黄金期の立役者である「レジェンド声優」と、自らもレジェンドである声優・古川登志夫さん、平野文さんによる濃密トークをお送りするレジェンド声優インタビュー。今回、お越しいただいたのは、70年代『ドカベン』『白バイ野郎ジョン&パンチ』での主演を経て、80年代には、数々の傑作アニメで重要なサブキャラクターを演じた名優・田中秀幸さん。さわやかで、誠実さを感じさせる、田中秀幸さんのジェントリーボイスの秘密に迫ります。
『ドカベン』で声の演技の醍醐味に目覚め、声優の道へ
- 平野文:
(以下、平野) -
秀幸さんの声優デビューは、いつ頃なんですか? えーっと、ちょっと調べたところによると……
- 田中秀幸:
(以下、田中) -
Wikipediaでは『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年~1974年)ということになっているんだけど、これはたぶん違うんじゃないかなあ。子供のころから吹き替えやアニメの仕事をしていたので。ただ、明確な記憶がないのでここでは「デビュー作は不詳」とさせてください。というか、『科学忍者隊ガッチャマン』に出た記憶がない……(笑)。
(編集部注:1974年に放送された第96話「ギャラクター本部に突入せよ」にたしかに登場していらっしゃいます)
- 古川登志夫:
(以下、古川) -
じゃあ、レギュラー出演するようになったのは『ドカベン』(1976年~1979年)の主人公・山田太郎役から?
- 田中:
-
いや、それも記憶がさだかではないのですが、違うはず。ただ、声優として「物心ついた」と言えるのは確かに『ドカベン』かもしれませんね。
- 古川:
-
僕と秀ちゃんは『ドカベン』で初共演しているんだけど、なんて巧い人なんだって思ったね。秀ちゃん(山田太郎役)と神谷明さん(里中智役)がバッテリーを組んでいて、玄田哲章さんが岩鬼役、キモさん(肝付兼太さん)が殿馬役、みんな巧い人ばかりだったけど負けていなかった。
- 平野:
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芝居の基礎ができているから、応用が効くんでしょうね。
- 古川:
-
僕なんかはその中で演技するのが、もう怖くて(笑)。
- 田中:
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そんなことないでしょ(笑)。古川さんだって、山田の後輩の渚圭一役で活躍していたじゃない。
- 古川:
-
渚は里中が故障で出てこなくなった代わりに登場するんだよね。だから、ファンからのお手紙にいろいろ書かれましたよ。お前が出てきたから神谷明が出てこなくなったとか(笑)。
- 平野:
-
『ドカベン』での秀幸さんの演技ってどんな感じだったの?
- 古川:
-
スポ根作品だから、僕をはじめ、若手はみんなすごく力んで演技するんだけど、秀ちゃんだけは、すごく力を抜いた良い演技をしてた。僕はあれを「引き算の演技」って呼んでいるんだけど、がんばっていないのに存在感がすごいの。憧れましたよ。やっぱり子供の頃からやってる人は違うなーって。
- 田中:
-
ただ頑張りが足りなかっただけじゃないかな(笑)。それに山田太郎って、主人公のくせに口数の少ないヤツだったし、少ないセリフもほとんどモノローグだったんだよね。だから力を抜いているように見えたんだと思う。里中との会話も、相手が離れたマウンドの上にいるからモノローグの掛け合いでね。口パクに合わせないでいいのは楽だった(笑)。
- 古川:
-
そうそう、今でも覚えているのが、秀ちゃんがピッチャーの里中に直接、声をかけるときのクセ。なぜか「里中!」って言う時だけ、片足をピョンと前に出すんですよ。それが面白くて、現場で何度も真似しちゃった(笑)。
- 田中:
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そんなことありましたね。今やれって言われてもきっとできないですけど(笑)。というか、よくそんなこと覚えているなあ。僕は記憶力が悪くて、昔のことはほとんど覚えてないんですよ。
- 平野:
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山田太郞役はオーディションを受けられたんですか?
- 田中:
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いや、受けていませんね。その頃、洋画の吹き替えでご一緒することの多かった録音監督の斯波重治さんにかわいがっていただいていて、そのご縁で『ドカベン』にも呼んでいただけました。
- 古川:
-
秀ちゃんも“斯波重治一家”の一員だったんだね。
- 平野:
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私も1981年から始まった『うる星やつら』で斯波さんに拾っていただいたんですけど、その時に聞いたのが、斯波さんが人を育てるのがものすごく上手だということ。特に『ドカベン』がすごくて、斯波さんはそこでたくさんのスター声優を生み出したんだよって。私はそれで秀幸さんのことを改めて意識したんですよ。
- 古川:
-
玄やん(玄田哲章さん)や千葉ちゃん(千葉繁さん/『ドカベン』では2代目・山岡鉄司役など)なんかもそうだよね。もちろん、神谷明さんも。
- 平野:
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『ドカベン』収録時の斯波さんってどんな感じだったんですか?
- 田中:
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とても細かく芝居を付けてくださる方でしたよね。斯波さん自身が役者の経験がおありだったから、指導もとても的確で。
- 平野:
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斯波さんも、それに答えられる役者を選んでいたんでしょうね。
- 田中:
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『ドカベン』で声優の楽しさに目覚めて、それ以降は声の仕事に専念することを決意しました。それまでは実写作品にも出ていたんですけど、もう中途半端なことはよそうって。それで声優事務所に所属することにしたんです。そういう意味でも『ドカベン』は自分にとって大きな意味のある作品。斯波さんは僕の人生の大転機に関わってくれた恩人ですね。
- 古川:
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当時、秀ちゃんが所属していた事務所は江崎プロダクション(現・マウスプロモーション)だったよね。洋画や海外ドラマに強いところだった。
- 平野:
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それで、抜擢されたのが1979年から始まった『白バイ野郎ジョン&パンチ』だったのね。