Jul 28, 2018

インタビュー

伝説的ラジオドラマ『アッちゃん』が生み出した名優・田中秀幸の成長ストーリー

平野

その当時の雰囲気は覚えていらっしゃる?

田中

当時はまだ5歳だったので、うすぼんやり、何となく覚えているというくらいですね。ちなみに、ネットの資料などでは『アッちゃん』の開始年が1957年になっていますが、私の手元に残っている新聞の切り抜きによると、1956年11月5日が正確な放送開始日。私の6歳の誕生日(1956年11月12日)の直前だったことを覚えているので、これは間違いありません。

平野

オーディションに選ばれたのは何でだったか覚えていますか?

田中

児童劇団出身の子たちが巧い演技をしている中、僕の演技が“新鮮”にうつったのが選んだ理由だそうです(笑)。というか、僕はオーディションに行くのがすごくイヤだったんですよ。ものすごい引っ込み思案で、口数の少ない子供でしたから。

古川

今とは全然違いますねえ(笑)。

田中

今でもものすごく人見知りなんですよ、こう見えても(笑)。

平野

そんな我が子がオーディションに受かって、お父様はお喜びになったんじゃないですか?

古川

なんせ、400人もいる中から選ばれたんだからね。

田中

いや、そもそも雰囲気を味わうためだけに参加したので、受かるなんて思ってもいなかったみたいですよ。だからその後、主演ということで、いろいろなメディアの取材が入っていたんですけど、隠れるように逃げ回っていました。

平野

うれしい気持ちよりも、驚きの方が上回っちゃったのね(笑)。

古川

でも、偉いよね。まだ5歳だっていうのに声優として働き始めたっていうんだから。僕は当時10歳だったけど、毎日遊んでいたよ。

田中

まだ5歳だったので、仕事をしている感覚はまったくなかったですね。演技を勉強していたわけでもないので、ただ渡された原稿を読んでいただけですよ。ちなみに、まだ5歳だったので台本は全てひらがなで書かれたものを用意してもらっていました。

古川

すごいね、ひらがな書きとはいえ、5歳で台本をもう読めたんだ!

田中

父親が本が好きだったので、よく読み聞かせてくれていたんです。あと、台本が届くと父親が目を通して、簡単に演技をつけてくれていました。

 

 

平野

お父様はそういうのがお好きだったのね。

田中

映画監督を目指していたくらいですからね(笑)。

平野

収録していた当時の思い出はありますか?

田中

番組には山岡久乃さん(テレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』岡倉節子役など)、藤岡琢也さん(テレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』岡倉大吉役など)、熊倉一雄さん(海外ドラマ『名探偵ポワロ』ポワロ役など)、滝口順平さん(『ヤッターマン』ドクロベー役など)ら、超レジェンドの皆さんが出演していらっしゃいましたが、皆さんにはとても良くしていただきました。

古川

そういえば、大人になっても「アッちゃん」って呼ばれていたよね。

田中

そうなんですよ。だから若い後輩なんかは何でそう呼ばれるのか不思議に思っていたみたいですね。オッちゃんならわかるけど(笑)。

平野

同世代の子役で、今も活躍されている方はいらっしゃいました?

田中

池田秀一さん(『機動戦士ガンダム』シャア役など)が友達役で出ていました。彼は当時既に名子役として有名でね。僕みたいな素人とは全然違っていましたよ(編集部注:池田さんは後にテレビドラマ『次郎物語』の主人公を演じ天才子役として、さらに注目を集めます)。