Aug 05, 2017

インタビュー

マンガの神様・手塚治虫が我を忘れて歓喜! 声優・清水マリがアトムに命を吹き込んだ

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レジェンド声優インタビュー
清水マリ[鉄腕アトム伝説編]

       arranged by レジェンド声優プロジェクト

 

 

アニメ黄金期の立役者である「レジェンド声優」と、自らもレジェンドである声優・平野文さんが濃密トークを繰り広げるレジェンド声優インタビュー。今回は、日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』で主人公・アトム役を演じた声優・清水マリさん。文句なしの“スーパーレジェンド”が語る、国内テレビアニメ創成期とは?

 

中学1年生の時に上がったプロの舞台の興奮が忘れられなくて……

 

平野:

清水マリさんと言われると、私たちはパブロフの犬のように鉄腕アトムを思い出してしまいます。おそらく、この記事を読んでくださっている読者の皆さんも同じなのではないでしょうか?

清水:

アトムの声をやらせていただいたのは、私が26歳の時、1963年のことですから、もう50年以上前のことになりますね。2003年に後任の津村まことさんにバトンタッチするまでの40年、ずーっと私が彼の声をやっていたんですよ。それ以降も、イベントなどで請われてアトムの声を披露させていただくことがありますから、本当に長い付き合いになります。

 

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平野

まずは、そんなマリさんが、鉄腕アトムになる前、役者を志すようになったころのお話を聞かせていただけますか?やはりお父様の清水元さん(黒澤明監督作品の常連としても知られる名バイプレイヤー。悪役・仇役を中心に幅広い役柄を演じた)の影響が大きかったのでしょうか?

清水

父親がそういう仕事をしていたこともあって、小学校の学芸会などでは良い役をいただけて、それでちょっとその気になってしまったんですよね。以降、中学・高校時代は演劇漬けの生活を送っていました。より幅広い作品をやれるよう、わざわざ男女共学の学校を選んだくらい(笑)。

平野

それはお父様もお喜びになったのでは?

清水

それが、父は私が役者を目指すことには大反対だったんです。でも、私が本気で役者を志すようになったのは、中学1年生の時に、父が主催していた表現座という劇団(学生時代の早野寿郎さんや、愛川欽也さんらが所属)で、ピノキオ役をやらされたことがきっかけなんですよ。自分で火を付けておいてやめろなんてひどいですよね!(笑)

平野

ご自身の苦労を可愛い娘に味わわせたくないという気持ちがあったのかもしれませんね。

清水

でも、そんな言いつけは守らずに、高校を卒業後は、俳優座の養成所に入所。卒業後には俳優座の衛星劇団「新人会」(早野寿郎さんらが中心になって設立)に入って、本格的に舞台役者の道を歩んでいくことになりました。

平野

そこから、どのようないきさつで声の仕事をなさるようになったのですか。

 

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清水

1950年代の後半くらいから、テレビで海外ドラマや洋画の放送が始まり、その吹き替えに新劇の役者が使われるようになったんです。皆さんとてもインテリで、しかもたくさんの役を演じてきた実力派ばかりですから、本当に演技が素晴らしくて……。当時の録音技術は今とは比べものにならないのですが、それでも私はあの頃の吹き替えの方が印象に残っていますね。

平野

そんな中で、マリさんはどんな役を演じていらっしゃったんですか?

清水

北條美智留さんが主役の少年を吹き替えていた『名犬ラッシー』(1957年)で、取り巻きの男の子の役をやらせてもらうなど、とにかくいろいろな役を経験させていただきました。こういう声なんで、子供の役が多かったかな。当初は、一言、二言だけ、みたいな役も多かったんですけどね。