「青春」。当事者とってみれば苦しく、かっこ悪く、恥ずかしいもの。理想の「青春」を手に入れられなかった者にとっては永遠に焦燥感を駆り立てられるもの。そんな一瞬にして過ぎ去ってしまう眩しい季節を、異様な熱を持ってマンガという形で昇華したジョージ朝倉による伝説のコミック『溺れるナイフ』実写化という大役のメガホンをとったのが、20代にして華々しい称賛を身にまとう新鋭の映画監督・山戸結希。原作ファンも首を縦に振ることしか出来ない完璧なキャスティングの中でも特に異彩を放つのが、ヒロイン夏芽の運命を左右するカメラマンの広能晶吾役に抜擢されたドレスコーズの志磨遼平。お互いのクリエイションを尊敬し合いながらも、一対一で会話をするのは今回の対談が初めてというふたりに、作品についての思い、ここまでにつながる縁についても語ってもらった。
偶然が生んだファーストインプレッション
──志磨さんは山戸監督の作品を以前からご覧になっていたそうですね。
志磨 はい。そもそも僕は、山戸監督の作品に偶然という形で出会いを果たしたんです。2013年の4月、新宿のディスクユニオンのあたりを歩いていたら、旧知の仲である、おとぎ話というバンドのベースをしている風間くんにバッタリ会って。「奇遇だね」なんて話しているうちに、「志磨ちゃん、こっち来てよ」って風間くんにグイグイ腕を引っ張られまして。着いた先にあったのは、すぐ近くの映画館。そこにはおとぎ話のメンバー全員が揃っていて、「今からちょうど僕らの映画を上映するから観ていってよ」なんて言うんです。昔から知ってる仲ですから、彼らの大根芝居を笑ってやろうくらいの気持ちで席に着いたら、上映されたのが山戸監督が監督を務めた『おとぎ話みたい』という作品で。冒頭の、ヒロインである趣里ちゃん演じるしほが言葉を紡ぐシーンで、今からすごいものを僕は観させられるぞって言うのが直感的にわかって。
山戸 わあ…うれしすぎて、具合悪くなりそうです。
志磨 そこからずーっと画面に釘付けで、鑑賞後おとぎ話のメンバーに「君らすごい監督に使ってもらえたね、本当にすごいことやで」って散々言ってたんです。「あの監督は天才や」って。
山戸 そんな、私の天才は志磨さんです。あの日のことは、とてもよく覚えているんです。背の高いお人形のような方が、エンドロールが終わる前に足早に帰って行く姿が見えて。志磨さんのお姿はライブ映像などで認識していたつもりだったのですが、ご本人だとは思わなくて。
──まさか、ふらりと現れるとは思わないですよね。志磨さん、とても目立ちそうですし(笑)。
山戸 後で、志磨さんが来てくれてたんだよって聞いて、あ、あの方がそうだったんだなって。印象深いファーストインパクトでし。
志磨 僕はもう、すごいものを目撃してしまった!という気持ちで、そわそわしてしまって小走りに劇場を後にしたんですよ。
「少女という生き物への畏怖と敬意、コンプレックス」(志磨)
──志磨さんが山戸監督の作品や作家性をどのようにとらえているのか、伺えますか?
志磨 あくまで僕個人の考えですけど、山戸監督が撮る女の子を観ていると、監督自身が少女に畏怖や敬意をいただきつつ、まるで崇高なものに接するよう、大切に触れているように思えて。同じ女性として、という目線ではなく、“少女”という思春期の女の子が持つ尊さに対するコンプレックスのようなものを感じるんです。僕自身の中にも、そういう時期の“少女”という輝きや怖さ、不安定さを持つ生き物に対する叶わない憧れが、おっさんなりにあって。こう言うとすごく語弊がありそうですけど、「小松菜奈ちゃんやべー、かわいい!」みたいなんじゃなく(笑)、異性としての気持ちとは別の、手の届かない美しいもの、と捉えていて。そういう目線が、山戸監督とは近いものがあるのかもしれないなって僕は思ってます。言葉にするのはとても難しいんですけど。
──志磨さんの手がける作品の中でもそういう思いが映り込むことはあるのでしょうか。
志磨 ありますね。僕は、ラブソングというものが少ないタイプのミュージシャンなのですが、女の子が出てくる曲に関しては、具体性のある存在としてというより、シンボリックなものとして描くことが多いような気がします。
──山戸監督は、もともと志磨さんの楽曲を良く聴いていらしたそうですね。
山戸 はい。その存在を知った時には、毛皮のマリーズ(志磨さんの前バンド)は解散されていたのですが、映像やCDなどで触れていました。歌われる音楽はもちろん、志磨さんの純粋な立ち姿は、これまでの生き様が現れているような、世界でたった一人で呼吸してきた人なんだって気付かせてくださる魅力があります。10代の夏芽が広能さんを見上げる時に感じる、才能のある人だけが持つ色気や、心の温度みたいなものが今の志磨さんに重なるのでは、と思いオファーさせていただきました。
志磨 僕もコンプレックスがたくさんあるので、そうやって褒めてくださっても素直に「イエーイ」とは喜びにくいのですが、“言葉の人”である山戸監督の“言葉”を僕は一方的にわかった気になっていたので、やっと今日という時を迎えられたのかなって。
山戸 確かに…今までほとんどお話せず、あえて温存していた感じがありますよね。
志磨 あれ、本当の一番最初って、衣装合わせの時でしたっけ?
山戸 そうです、そうです。『オーディション』(ドレスコーズ4thアルバム)のレコーディング中で、すごくタイトなスケジュールを調整して来てくださって。
志磨 そうでしたね、ノコノコと衣装合わせに来て、出演する気満々みたいになってますけど、「本当に僕でいいんですか?」っていう気持ちでいっぱいでした。
山戸 その時も「なんで僕なんですか?」っておっしゃってくださったのですが、私の中では、まずどうあっても志磨さんでしかなかったので、なんてお伝えしようって。「僕が和歌山出身だから選んでもらったのかな」とも言われてましたよね。
志磨 それはもう、半分冗談みたいなものでしたけど(笑)。
山戸 そうだったんですね。私、志磨さんが和歌山ご出身ってことを存じ上げてなくって。ファンの方にとっては、志磨さん=和歌山なのかもしれないと衝撃を受けつつ…。
志磨 そんなに和歌山推しで売っている訳ではないので、ご安心ください。ただ、和歌山出身の僕が東京から来た人間の役で、ひとりだけ標準語で、みんなの方が方言を話しているというのが不思議でした。
山戸 そこにひとつのねじれ構造があるんですよね。
──今作のロケ地が志磨さんの出身地である和歌山というのは、あくまでも偶然の産物ということなんですね(笑)。山戸さんとしては、志磨さんが役を引き受けてくれるかどうかも未知数だったのではと。
山戸 本当にそうなんです。志磨さんは音楽家でもありますが、まずアーティストとして、これまでお芝居をされていなかったので、こちらが一方的にオファーをしても良いのかという葛藤もあったのは事実です。でも、それでも志磨さんに、必ずお願いしたかったんです。そして、実際にカメラを回したら、志磨さんに対してずっと抱いていた引っかかりの正体が、初めて見えたような気がしました。
──というのは?
山戸 私はずっと、志磨さんを撮りたかったんだと、本当にずっと、志磨さんのことをカメラの代わりに見つめてきたんだと思いました。心のスクリーンに映すみたいに。だから志磨さんを、心身両方の目で追ってしまうんだなあと。初対面の日も、目に飛び込んで。憧れでも、好意といった種類の気持ちでもなく、ただこの人を撮りたいっていう、すごくプリミティブな気持ちを引き出していただけていたんですね。歌っていたり、踊ったり暴れたりする志磨さんを見ながらも、まだ誰も見たことのない姿を、MVでもなく、あ、でもMVもいつか撮らせていただきたいのですが。
志磨 まじですか。
山戸 何よりも、映画の世界の中で志磨さんをまなざしてみたかったんだな、とすとんと腑に落ちました。
志磨 2013年に『おとぎ話みたい』に触れて以来、心を掴まれた監督の作品に演者という形で関わらせてもらった時も、主題歌の『コミック・ジェネレイション』をお渡しするということになった時も、ずっと山戸監督の追っているものになりたい、という一心だったので。こうして今日初めて一対一でお話しできていると、じわじわとうれしさが込み上げて来ます。