リスクマネジメントが重要視される現代社会において、常に危険な匂いを漂わせている映画人が三池崇史監督だ。極限まで振り切った作品スタイルは、海外でも熱烈なファンを生み出している。あまりに飛ばしすぎた表現内容には置いてけぼり感をくらいかねないが、「何かとんでもない世界を見せてくれるに違いない」と常に期待を抱かせるクリエイターでもある。木村拓哉との初タッグ作として話題の『無限の住人』の公開を前に、三池監督の“フルスロットル”トークが始まった!
──三池監督はこれまでにも『殺し屋1』(01年)、『IZO』(04年)、『十三人の刺客』(10年)、『悪の教典』(12年)、『テラフォーマーズ』(16年)と殺戮を主題にした作品を撮ってきました。三池監督がこういった危険な題材に惹かれるのはなぜなんでしょうか?
いやいや、僕は監督として呼ばれているだけです(笑)。
──でもですね、三池監督自身にそういった作品を引き寄せるものがあると思うんです。
それはですね、僕がこれまでにいろんな作品をつくってきたからでしょう。僕はさほど社交的ではないので、仕事以外では人と会わないし、まず友達が1人もいない(笑)。飲み屋で知り合いと逢っても、酔っぱらっているので誰が何を言ったかも覚えていない(笑)。でも、プロデューサーとは揉めないんです。制作を請け負う会社にちょっとした傷を負わせることはあるけど、死なせるようなことは言いません。例えば予算が100しかないのに、300と言うと崩壊してしまうけれど、110か120なら多少の傷は残るかもしれないけど、完成した作品が看板になって、その制作会社に違う何かをもたらすかもしれない。それは計算してやっているわけではなく、自分の性格的なものなんです。過去にそうやって作品を撮ってきたので、「あいつなら、やれるんじゃなか」と思われているんでしょう。4000万円くらいの予算でビデオ作品を好き勝手につくっていた時期に、あるプロデューサーから声を掛けられて撮ったのが劇場映画『中国の鳥人』(98年)でした。
──中国の雲南省の、さらに奥地でロケ撮影した本木雅弘主演作ですね。
あの作品は、他のプロの監督たちから、プロであるがゆえに「これは無理だ」と断られ続けた企画だったんです。実際にそのときの予算では到底無理な内容でした。でもビデオの世界でやっているあいつらならやれるんじゃないかと言われて、「やれるかどうか分かりませんが、まぁやってみますよ」ということで中国へ1カ月間渡ったんです。電気も水道もない、少数民族が暮らす雲南省の奥地まで10日間掛けて辿り着いて、移動中も撮影し、また10日間掛けて戻ってきたわけですが、何とか映画は完成した。もちろん、そんなふうに映画をつくっちゃダメだという考え方もある。でも、つくらないことには話にならないわけです。そこまでしてやる意味のある作品なのかということよりも、できた作品が評価されるべきであって、どういう過程で完成した作品なのかということはどうでもいいんです。
──そうやって三池監督はオリジナルビデオやインディペンデント系の劇場映画で、次々と話題作、問題作を生み出していくことに。
僕の作品で欧州でいちばん売れているのは、ローバジェットで撮った『ビジターQ』(01年)です。欧州ではどこのビデオ店にも置いてあって、ネットでも配信されています。キャストの出演料も合わせて全部で製作費が800万円ですよ。最初は金額を聞いて吹き出しました。予算が800万円と聞いて、「俺のギャラそんなにいらないよ」と言ったら、「いや、製作費全部で800万円」と言われて、「えっ〜!?」と(笑)。ふざけているのかなと思ってプロデューサーの顔を見たら、すごく真剣な目をしていたから「面白いなぁ」と(笑)。800万円で映画を撮ったら、どんなことになるんだろうと思って、楽しんで撮った作品ですよ。カメラマンはメジャーな映画を一緒に撮っている山本英夫で、彼は予算を聞いて量販店に行ってホームビデオ用のカメラを買ってきたんです。それならと、地方で映画学科のある大学の学生たちにバイト募集をかけて実習生として参加してもらい、撮影に使う家財なども持ち寄ってきてもらった。低予算で撮った作品ですが、みんな楽しめたんです。そうやって、映画をつくってきた体験がね、今も残っている。映画は企画の段階でポシャることが多いけど、企画が動き出して、自分が参加することになり、脚本までつくって、うわ〜っと動き出したら、最後まで走りきってしまうものなんです。