Mar 19, 2016 interview

第3回:「戦友」そして、「後輩」たちに思うこと

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レジェンド声優:水島裕
インタビュアー:藤井青銅(放送作家
/作家/脚本家)

 

 

藤井青銅 
(以下 藤井)

水島裕と言えば、80年代アニメブームを牽引してきたレジェンド声優の一人ですが、そんな水島さんにとって「戦友」と言えばどなたでしょうか?

水島裕 
(以下 水島)

たくさんの友人たちの中からあえて選ぶのであれば、やはり三ツ矢雄二さんと井上和彦さんでしょうね。不思議な縁なんですよ。所属事務所も青二プロダクションから始まって、ぷろだくしょんバオバブでも一緒で。年齢もほとんど同じで、演じるキャラもだいたい似ていて……ロボットものの主役オーディションに行くと絶対に遭遇していました(笑)。

藤井

仲の良い友人という感じだったんですか?

水島

いえ、僕は「仲が良かった」という感覚だけではありません。だって、似た役を奪い合うライバルだったわけですから。もちろん、それぞれの番組にゲストとして出演したりはするんですけれども、それはあくまでゲスト。似ているキャラクターだけにレギュラーで同じ番組に出るということはほとんどありませんでした。和彦と『百獣王ゴライオン』(1981年)『魔法の天使クリィミーマミ』(1984年)で共演したくらいかな。彼は、麻雀もやらないんでオフに遊ぶということもなくって。むしろ、今の方が仲が良いと思います(笑)。

藤井

当時はお三方とも、ものすごく多忙でしたしね。

水島

ただ、それぞれの存在を意識はしていたんですよ、ずっと。だから何となく二人がどういう状況にいるのかは耳にしていて。あんな役をやったらしい、事務所を作ったらしい、結婚したらしい、とか。たしかに「戦友」という気がします。そして、ここ数年で特にそういう気持ちが大きくなったように思います。やっぱりこの二人は特別ですね。……二人がどう思っているかは分かりませんが?(汗)

藤井

いやいや、きっと向こうも意識していますよ(笑)。

水島

数年前、雄二の劇団公演に出させてもらって、そこで久しぶりにじっくり話すことができました。そうそう、2014年には三人だけで『女中たち』という舞台もやっているんです。まだお話できないんですが、今年はさらに新しいことを仕掛ける予定なんですよ。

藤井

あと、2013年には三ツ矢雄二さんが参加していた伝説的な声優バンド「スラップスティック」のリメンバー・コンサートにゲスト出演されていましたよね。何でも、学生時代にそのライブ写真を撮影しておられたとか。

水島

そう、そう!当時、僕は日芸(日本大学芸術学部)の写真学科に所属していたんですが、その学科を選んだ理由が「日芸に入りたいけど、どうせ入るなら演劇以外のことを専攻したい」といういい加減なもので、肝心のカメラの“腕”も“知識”はからきしだったんです。何せ、入学したときにカメラを持っていないのは僕だけだったくらいですから。それで卒業するためには“口”を使うしかないだろう、と。スラップスティックのコンサート会場に潜り込ませてもらって写真を撮って、「この写真が今の“時代”を写しているんです!」と教授を口で説得して卒業させてもらいました(笑)。

藤井

実は不思議なご縁で、私が放送作家になってすぐの仕事がスラップスティックの日本青年館公演(1980年)の構成だったんですよ。まだ、構成作家として1年少々の時期だったので、とても良い勉強をさせていただきました。

水島

おたがいスラップスティックのおかげで今があるという感じですね(笑)。

藤井

まったくです(笑)。そして、続いては「戦友」とは真逆の「後輩」たちについて聞かせてください。大ベテランである水島さんの目には、今の若手声優たちがどのように映っていますか?

水島

僕は大ベテランではありませんが(笑)今の若手声優は皆さん上手ですよね。けど、なんかガツンとくるものがないなという気はしています。僕らの世代はラッキーだったんです。僕らが新人の頃は、10人スタジオにいたら、8人は大ベテランでしたから。永井一郎さん、大塚周夫さん、富田耕生さん、納谷悟朗さん……。そういう方々から色々と厳しく教えていただけたのは本当にありがたかったですね。それが今は10人いたら、9人は若手という状況でしょう。現場としてはワイワイと楽しいのでしょうが、業界が新人を育てる感じはあまりありませんよね。そもそも演技について口出しできる空気感じゃないし。

藤井

イベント(「古川登志夫と平野文のレジェンドナイト」スペシャルトークイベント)では「若い声優さんには、(多少嫌われても)アドバイスを言ってあげた方が、本人のためになる。それを言わないでいるのは、一見優しそうに見えるけど、実は冷たいのかもしれないなぁ……と思うこともあります」っておっしゃっていましたね。

水島

言いましたね。

藤井

私個人も、若い声優の仕事を観ていて、型どおりの演技ができているがそれだけという印象を持つことがとても多いんです。「妹キャラってこんな感じでしょ?」という枠の中で演じてしまっているのかな。現場のスタッフさんからも似たような話を多く聞いていて、それがこの「レジェンド声優プロジェクト」を始めた動機の一つになっています。復活させた「夜のドラマハウス」でレジェンド声優と新人声優が組む機会を設けたのはそのためなんですよ。

 

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水島

若手のみなさんは巧いし、もう分かってるからアドバイスしにくいということもありますよね。きちんと養成所や学校で習ってきているので、僕がこの世界に飛び込んだ時のような「素人っぽさ」があまりないんですよね。

藤井

水島さんの世代は、何も持っていない=“素”で勝負するしかなかったことが、逆に功を奏したという面はあるのかもしれません。

水島

後はね、単純に人数が多い。一つの役にライバルが多いというのはもちろん、使う側にとっても次から次へと新人が出てくるので、どうしてもこだわって育てようという気にならない現実があるのかもしれません。

藤井

「使い捨て」されてしまう、と。

水島

いえ、それでも残っている人は残っているので、必ずしもそうではないと思うのですが……ただ、親しい人が声優になりたいと言ってきたら止めるようになってしまいましたね。だって普通の仕事以上に「努力が報われるとは限らない世界」ですから。見ているのが切ないでしょう。

藤井

この世界で生き残っていくために必要なものは何だと思いますか?

水島

“巧さ”だけではありません。それ以上に大切なのが、その人だけの“魅力”なんだと思います。この辺りは歌手なんかと同じですよね。歌の巧い人は素人にもたくさんいますが、そういった人がプロの歌手になれるわけじゃない。たとえプロになったとしても、その人だけの魅力がなければ、すぐにほかの人に取って変わられてしまいます。

藤井

では、ご自身で考える水島さんの“魅力”とは?

水島

昔は明るく元気なことが水島裕の存在理由。“魅力”だと思っていました。

藤井

当時のニックネームが「ひょうきんポンポン」ですもんね。

水島

それ、懐かしいなぁ。ただ、前回も言いましたが、ここに来てそれが少し変わり始めています。おじさん役や悪役をやらせてもらえるようになったことや、時間をかけて一つの仕事に集中できるようになったことで、声優としていろいろと表現を模索したい気持ちが強くなってきています。今後はそこにも期待してもらいたいですね。去年は、『ジョニーテスト』という作品で何と和彦の子供役をやらせてもらったんですよ(笑)。彼は「裕の父親をやるとは思わなかった」と苦笑していました。今、新しい役を振ってもらった時に、さぁ、これをどう料理しようかと考えるのが楽しくてたまらないのです!

 

構成 / 山下達也  撮影 / 田里弐裸衣

 

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水島 裕(みずしまゆう)

1956年1月生まれ。DJ、アイドル声優として人気を得、親しみやすく明るいキャラクターが受け、NHK総合『連想ゲーム』のレギュラー解答者など、クイズ・バラエティ番組等でタレントとしても活躍。趣味も幅広く、ガラス工芸、A級ライセンス(四輪)、スキューバライセンス、現代狂言など。主な声の出演にサモ・ハン・キンポーの吹き替え、「魔法の天使クリィミーマミ」俊夫役などがある。NHK「連想ゲーム」などテレビ出演も多く、現在はTBS系「ひるおび」(月~金11:00~13:50)でナレーションを務める。著書に『口ベタでも大丈夫 困ったときの質問会話術』(亜紀書房)。

 

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藤井青銅(ふじいせいどう)

23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」…など多数。
現在、otoCotoでコラム『新・この話、したかな?』を連載中。