Oct 01, 2019 interview

「映画から刺激を受けて書くことも」―『蜜蜂と遠雷』恩田陸が語る創作の秘訣、思い出の映画体験

A A
SHARE

転校が多かった体験は小説にも影響

――ミステリー、青春もの、ホラー、SFなど多彩なジャンルの小説を執筆されていますが、恩田作品には人間の主人公とは別に、人間ではないもう一人の主人公が存在することが少なくないように感じられます。デビュー作『六番目の小夜子』は少年少女たちの間に言い伝えられる都市伝説、代表作『夜のピクニック』は高校の歩行祭、そして『蜜蜂と遠雷』は才能豊かな若者たちに順位をつけるコンクールという不条理なシステムそのものが、もう一人の主人公となっています。

そうですね。物語の舞台設定は、けっこう重要になっている作品が多いかもしれません。意識して書いていることもあれば、あまり意識せずに書いていることもあります。作品によっていろいろですね。

――主人公たちとは別に、世界を客観的に見つめている視点を恩田作品の中には感じるのですが…。

それは子どものころに引越しが多かったことが影響しているでしょうね。学校も転校することが多かったので、転校先の様子を観察する癖がついたんだと思います。一歩引いたところから、場を見てしまう。いまも習慣になっているところがありますし、小説を書く時にもそれは感じますね。

――『蜜蜂と遠雷』は“音楽の神さま”に愛される天才たちの物語。作家・恩田陸は“物語の神さま”から愛され、あれだけ多彩な小説を生み出し続けているんじゃないでしょうか。

いや~、そんな感じは全然ないです(笑)。いつも苦労して、なんとか書き上げているんです。ごくたまに“書かされている”という感覚に陥る瞬間がありますが、ほんの一瞬だけですね。その状態が続かないんです。作家の方の中には、そういう状態にすぐなれる人もいるみたいで、羨ましいです(笑)。

恩田陸が考える本当の天才とは…

――人間ならざるものによって“書かされている”感覚は、どういう状況で起きるんですか?

毎日毎日懸命に書き続けていると、一瞬だけ“ご褒美”みたいな感じでそういう体験をすることがあります。私はそういう状況にはほとんどなりませんが、まぁ強いて言うとデビュー作『六番目の小夜子』は勢いで書き上げた部分が多かったかもしれません。今回の『蜜蜂と遠雷』もそうですが、いつもは絞り出すようにして書き進めているんです。

――才能を開花させるのは、人並みはずれた努力が必要なんですね。

そうだと思います。本当の天才とは、努力を努力だとは思わない人のことなんじゃないかと最近は考えるようになってきました(笑)。

――ルーティーンワークを続けているだけでは、天才の境地には辿り着けない?

辿り着けないでしょうね。同じことを繰り返していると、どうしても縮小再生産になるだけですから。たぶん、作家も同じような作品を書き続けていてはダメなんだろうなと思いますね。

――専業作家になった際にパーティーを開き、編集者たちに新しい連載小説の企画をプレゼンしたそうですね。

デビューしてしばらくは会社に勤めながら小説を書いていたんですが、フリーランスになる際に、ミステリーやSFなどタイプの異なる小説のレジメを10本用意して、お付き合いのあった各出版社の編集者たちに売り込みました。フリーの立場で食べていくことが、それだけ怖かったんだと思います。その時に用意した10本の企画は、ほとんどが作品になったのでよかったです(笑)。