Jan 26, 2017

インタビュー

ハーロック、石川五エ門など数々の二枚目キャラを演じてきた声優・井上真樹夫の役者道

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レジェンド声優インタビュー
井上真樹夫[役者道編]

       arranged by レジェンド声優プロジェクト

 

 

今回のレジェンド声優インタビューは、『ルパン三世』石川五エ門、『宇宙海賊キャプテンハーロック』ハーロック、『巨人の星』花形満など、アニメ史に残る伝説的イケメンを演じ続けてきた井上真樹夫さんが登場!
ホスト役・古川登志夫さん、平野文さんをして「スーパープレミアムレジェンド」と言わせる井上さんにその役者道、そして声優道を語っていただきました!!

 

平野文
(以下、平野)

今回のレジェンド声優インタビュー、お招きしたのは井上真樹夫さんです。もう、私、本当にうれしくて。

古川登志夫
(以下、古川)

声優も50代を越えたら大御所、60代にもなるとレジェンドということらしいですけど、井上真樹夫さんクラスになると、これはもう「スーパープレミアムレジェンド」ですよ。

平野

もちろん、大切なのは年齢よりもキャリアなんですが、キャリアを誇るのではなくて、それをしなやかに、さも当り前のように身にまとっているというのが真樹夫さんのすごいところなんですよね。インターネットで調べたら「誰もが一度は憧れる声の持ち主」ですって!

井上真樹夫
(以下、井上)

ありがとう。でも美声じゃないよ、全然、美声じゃない。皆さん、それは誤解していますよ(苦笑)。

平野

さて、今回は「レジェンド声優インタビュー」ということでお越しいただいているんですが、真樹夫世代の大先輩からすると「声優」と呼ばれることに、やっぱり引っかかりがあるんですよね。そのあたり、改めておうかがいしてよろしいですか?

井上

「声優」という仕事は、俺が現役でブツブツ言っていたころは、全くメジャーではなかったからね。演技の1つとしてはもちろん大事なんだけれども、それ専門でやろうなんて時代ではなかった。逆に言えば、声の仕事はしたくない、なんてことも言っていられない時代でもあったんだけどね。

古川

当時、僕らが「声優」という言葉を使うと、真樹夫さんくらいの世代の先輩方に、『声優ってなんだ。俺たちは役者だろう』って怒られたもんですよ。

井上

あの当時は声優と言えば、舞台俳優がその片手間にやっていた感じだったからね。実際、俺もそういうところがあった。アルバイト感覚で、そして、ちょっと恥でもあったんだよ。それは、君らの世代だとわからないだろう?

古川

僕らの時には「第一次声優ブーム」なんて言われちゃってましたからね。

井上

当時は新劇の俳優が声優をやることが多かったかな。売れてる俳優は映画なんかで良いギャラをもらってるんだけど、俺たちにはそういう仕事は回ってこないわけでさ。だから声優の仕事をやってると、周りから『あいつ、吹き替えやってんだよ』とか笑われちゃうんだ。俺の方も、まぁ、ちょっとやってやるか、くらいの感じでやってたしね。

平野

真樹夫さんというと、一番最初のテレビアニメーション『鉄腕アトム』(1963年)から、『ビッグX』(1964年)、『ジャングル大帝』(1965年)などなど、そうそうたる作品にお出になってらっしゃいますよね。

井上

あとは『鉄人28号』(1963年)とかな。

平野

その時代、真樹夫さん以外にはどういった方々が出演されていらっしゃったんでしょう?

井上

アトム役を清水マリさんがやっていたほか、島田彰さん、水城蘭子さん、たくさんの先輩が出てたね。……先輩はみんな、おっかなかったよ(笑)。

平野

その様子がちょっと想像できないんですが(笑)、真樹夫さんが叱られたりしたんですか?

井上

いや、叱られるということはあんまりなかったんだけど、貧乏だったから汚い格好してスタジオ行くよな。そうすると「もうちょっとお洒落しなさい」とか、そんなことを注意されたりしたよ。

厳しかったのは、現場の空気感かな。俺が吹き替えの仕事を始めたのは、まだ録音ではなく、生で声を当ててた時代の終わり頃だったんだよな。だから緊張感がものすごくて……その厳しさの洗礼があった。

あまりの緊張感にやられておかしくなっちゃう人もたくさんいたな。収録中はイヤホンから音声が流れてくるんだけど、限られた数しか用意されていないから、油断すると自分用のがなくなっちゃうんだよ。出番が近付いて追い詰められた新人が、先輩のイヤホンを奪い取っちゃったりなんてこともあったな(笑)。

古川

今では考えられない光景ですね。ところで、真樹夫さんって、どういう経緯でこの業界に入ってきたんですか? 僕らは2人とも子役上がりなんですけど。真樹夫さんの時代はどうだったんでしょう。

井上

俺はアングラ(アンダーグラウンド)劇団出身。18歳くらいの頃に、友人と劇団を作って……当時はアングラの時代だったんだよ。小劇場の盛んな頃でね。寺山修司の天井桟敷(編集部注:寺山修司主催の演劇グループ。1967年に結成され、60~70年代にアングラ、小劇場ブームを巻き起こした)とかが評価されてて。

平野

そうして、舞台俳優として活躍されていた真樹夫さんが、声の仕事をやるようになった経緯って覚えていらっしゃいますか?

井上

よく覚えてるよ。当時すごく貧乏で、なんでも良いからお金を稼がなきゃと思っていたところに、知り合いのマネージャーさんから声がかかったんだよね。今度、『ドビーの青春』って洋画をテレビでやるから、その吹き替えのオーディションを受けてみないか、って。

平野

吹き替え初体験はアニメではなく洋画だったんですね。

井上

そうそう。ただ、当時は「吹き替え」がどういうものかも知らなくてさ。今では当り前に使われている「アテレコ」なんて言葉もなかったからね。

平野

そこから徐々にアニメの仕事にも挑戦していくようになるんですね。

井上

最初は新人だったから小さい役ばかりだったけどね。毎週ちょこちょこと違う役をやっていたよ。当時はそこからアニメの仕事をあんなにやるようになるとは思っていなかったな(笑)。