Nov 29, 2023 interview

東京現像所 矢部勝社長が語る 東宝で手がけた伊丹作品やジブリ作品の宣伝、そして東宝アドから東京現像所へ‥‥映画業界を歩んできた30年

A A
SHARE

ジブリの宣伝から、いきなり東京現像所社長に

池ノ辺 約21年、映画の宣伝畑を歩まれたのち、東宝アド(株)(現・TOHOマーケティング株式会社)に移られました。ここはどういったことをする会社ですか。

矢部 東宝グループの中の広告代理店のような位置づけですね。それまで僕がいた宣伝部が、いわば最大のクライアントで、宣伝部のテレビCMが一番大きな収益源でした。ポスター、予告編、それからイベントなども企画します。

池ノ辺 確かに、東宝さんと仕事をする時には必ずアドさんが間に入って進行や予算などを担当してもらいました。東宝アドでの矢部さんのお仕事は?

矢部 一番大きな仕事は、ジブリさんの仕事を受けられるような宣伝チームを作ったことでしょうか。僕が宣伝部時代につきあいがあって、ジブリの事情をよくわかっている人たちを引っ張ってきて、パブリシティの仕事などを引き受けられるようにしました。ジブリさんのほうも事情がわかっているということで安心して任せていただいたと思います。『崖の上のポニョ』(2008)からのおつきあいです。もっとも最新作は、「宣伝しない」のが一番の方針らしいですけど(笑)。

池ノ辺 そこで10年間。そして2015年、東京現像所(以下、東現)に異動されました。辞令が出た時はどう思われました?

矢部 呼び出された時に、どこかに行けという話だとは思ったんですが、東現とは思いませんでした。

池ノ辺 ずっと宣伝でしたからね。でも東宝さんの辞令ってどこに行くのかその時までわからないんですね(笑)。

矢部 本当にわからないです。まあ、僕は一度役員就任を断っていて、断るのはそれきりにしようと思ってましたから、とりあえずありがたく拝命しました(笑)。

池ノ辺 今回は最初から社長だったんですよね。行ってみてどうでしたか。

矢部 まずは戸惑いました。最初の1年は、もう本当に何をやっているのかわからなかった。

池ノ辺 そのころの東現は、どんな仕事を多くされていたんですか。アニメとか?

矢部 アニメは1980年台がピークで、ほとんどやっていませんでした。扱っていたのは実写の新作で、まだフィルムで撮られている監督の作品もありました。山田洋次監督がその筆頭で、他には小泉堯史監督、北野武監督、木村大作監督などですが、特に木村さんからは、大きな檄をいただきながらやらせていただきました。

池ノ辺 ちょうどフィルムとデジタルの、変わり目の最後の時期ですよね。デジタルのカメラが出てきて、でも、できるだけフィルムに近い質感にしようとか、皆さんいろいろ試行錯誤して勉強されたと伺ってます。

矢部 ありがたいことに、フィルムのものはもちろん、デジタルになっても最後の仕上げ(カラコレ)のところは東現にと、指名をいただいていました。それは本当に感謝しかないです。

ただ、うちの技術者たちは本当に真面目で仕事熱心でしたから、それこそ「働き方改革」みたいな制約がなければ時間外労働はもう青天井で増える一方だったと思います。だからこそお客様から評価もいただけたんだとは思いますが、体を壊すんじゃないかと心配になるほどの時間を費やしていました。

池ノ辺 時間の制約がある中で、できる限り良い仕上がりを目指すとなると、どうしても、結局最後のところにしわ寄せが来ますよね。

矢部
 お金は厳しい、でも「やってね」と言われると引き受けて頑張ってしまう。現場はいろんなジレンマを抱えてやっていたと思います。