映画は砂場や学園祭。思い切り好きなことを楽しくやってみたい
池ノ辺 監督は最初からずっと(株)白組の所属なんですよね。
山崎 そうです。バイトで入って裏口入社して、そのまま所属してます。
池ノ辺 映画がお好きだったから入られたんですよね。
山崎 もちろん映画が好きで、でももっといえば、VFXがやりたかったんです。
当時映画は、本編監督と特技監督に分かれていて、本編監督になると特技とか特撮とかからは離れてしまう。僕がやりたかったのは、そちらなのでまずは特技監督を目指しました。ところが、その頃最新の技術を使うVFXは、圧倒的にCMが多かったんです。映画ではまだまだ特撮、SFXのような特殊効果が主流だったんで。
それでまずCMの仕事に入ったんですが、入ってみて分かったのは、本で読んだ知識なんて何の役にも立たないということ。生意気なやつが入ってきてハリウッドではこうですよとか言うので、じゃあ、お前やってみろと任されたら全然できなかった。お前は口だけ大将だと、先輩たちにずいぶんいじられました(笑)。
池ノ辺 映画の仕事にはなかなか行けなかったわけですね。
山崎 そうですね。でも少しずつ映画でもVFXの技術が入ってきて、ある日ふと思ったんです。僕がここにきたのは、『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』に感動して、宇宙船なんかを作りたかったんだと。でもこのままでは、自分がやりたいことに近づけていない。そういう仕事は日本ではほとんどなくて。今自分は特技監督的なポジションにはいるけど、やりたい仕事ができていない。これは企画を出してそれを通せるような人にならないと、と思ったんです。
池ノ辺 それで本編の監督になろうと。
山崎 監督になるしかないんじゃないかと思った時に、映画プロデューサーの阿部秀司さんに出会って、そこから監督にならせてもらったという感じです。
池ノ辺 今度は、本編とVFXと両方やることになるんですよね。
山崎 ラッキーなことに、本編監督になると、特技監督も俺がやるからということが成り立つんですね。しかも、普通は同時進行でやるんでしょうけど、僕が扱っていたのは撮影が終わってからでないとできないタイプのVFXだったんで、何の支障もなく両方一人でできた。まず本編を撮って、その素材をどう加工するか考えて、そこにつけていくという手法をとって、両方やれることになったわけです。
池ノ辺 時間の無駄もなく自分の中でイメージしながら撮影もできる。そうやって今の監督ができあがったわけですね。素晴らしい!では、最後の質問になりますが、監督にとって、映画って何ですか。
山崎 これは誤解を招かないといいのですが、お砂場なんですよ。砂でものをいろいろ作っていって、そこに列車をバーンと走らせたりして‥‥そんな感じなんです(笑)。
あとは学園祭かな。みんなで一生懸命何かを作り上げて、当日を待って、それを発表して、さらにそれについてみんなからあれこれ言われる。そんな学園祭を未だにやり続けている感覚があります。
池ノ辺 それができるって素晴らしいですよね。周りもそれを認めてくれているからできるわけで、それで大ヒットを生んだら、最高じゃないですか。
山崎 ありがたいことだと思います。
池ノ辺 今回まさにそれが見えました。監督が好きなこと、やりたいことを楽しそうにやっていて、それを私も楽しく拝見しました。
インタビュー / 池ノ辺直子
文・構成 / 佐々木尚絵
撮影 / 岡本英理
監督 / 脚本 / VFX
1964年生まれ。幼少期に『スターウォーズ』や『未知との遭遇』と出会い、強く影響を受け、特撮の道に進むことを決意。阿佐ヶ谷美術専門学校卒業後、1986年に株式会社白組に入社。『大病人』(93)、『静かな生活』(95)など、伊丹十三監督作品にてSFXやデジタル合成などを担当。2000年『ジュブナイル』で監督デビュー。CGによる高度なビジュアルを駆使した映像表現・VFXの第一人者。『ALWAYS 三丁目の夕日』(05)では、心温まる人情や活気、空気感を持つ昭和の街並みをVFXで表現し話題になり、第29回アカデミー賞最優秀作品賞・監督賞など12部門を受賞。『永遠の0』(13)、『STAND BY ME ドラえもん』(14)は、それぞれ第38回アカデミー賞最優秀作品賞ほか8部門、最優秀アニメーション作品賞を受賞。
戦後、無(ゼロ)になった日本へ追い打ちをかけるように現れたゴジラがこの国を負(マイナス)に叩き落す。史上最も絶望的な状況での襲来に、誰が?そしてどうやって?日本は立ち向かうのか。
監督・脚本・VFX:山崎貴
出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介
配給:東宝
©2023 TOHO CO.,LTD.
公開中
公式サイト godzilla-movie2023