May 11, 2022 interview

白石和彌監督が語る 『死刑にいたる病』で描いた人間の奥底をのぞいても分からない闇 

A A
SHARE

人の闇の中にある愛おしさと恐ろしさ

池ノ辺 監督はこれまで、狂気的なというか、心の闇を描く作品を撮り続けてこられました。そうした分野では監督は日本でナンバーワンだと私は思っているのですが、そうすると、一体監督ってどんな人なんだろうと、そのあたりに非常に興味がわきます。

白石 僕個人として自分で自分を分析すると、常識人で、優しいし真面目だしと思っています(笑)。ただ、だらしないところはありますね。ああ、でも鈴木亮平さん(『孤狼の血 LEVEL2』)には、監督はサイコパスですと言われました(笑)。

池ノ辺 そうじゃないと撮れないんじゃないですか。

白石 確かにサイコパスに興味があるというか、そういう映画も好きです。

池ノ辺 そうすると、好きだからこそ、例えば原作を読んだときに、この表現をこういうふうに撮ってみたいという想いが強くあるわけですね。今回は、この原作を読んで撮りたいと思ったんですよね。

白石 もちろんそうです。ただ、難しい題材だなとも思いました。24人を殺したという榛村大和のことを説明するのには結構時間がかかるし、でもそこはあんまりもたもたしてると観ているお客さんは飽きるだろうから、そこをサラっと見せるのをどうしたらいいかなとか、前の『凶悪』という映画で面会室のシーンをずいぶん撮っているので同じような感じになるのは嫌だなとか、いろんなことは考えました。でもやってみたいという気持ちが強かった。

池ノ辺 この映画について、監督の言われるニーチェの言葉、『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』というのを、思い出したんですが、そういう深みにはまっていくのを演出するのが監督はすごいですね。なにかこだわっていることはあるんですか。

白石 もちろん作品の内容によりけりなところは当然あるんですけど、結局、人の奥底を覗いても、その人が何者か、どういう人間かというのは単純にはわからない。それはすごく気をつけているといいますか、そうしたことを踏まえた人物造形にどのキャラクターもなってほしいというのはあります。今回の榛村大和もそうですが、いろいろ調べてわかったような気になっても実はわからないのが人間で、そこが愛おしくなる部分でもあり恐ろしくなる部分でもあるわけです。その部分をどうやって映画の中で抽出するかということはすごく考えています。

池ノ辺 何かわからない部分だからこそ、うっかり入り込んでいって自分もそうなってしまうとか、もともと持っているものを突かれたところから、そっちに行ってしまうとか、そういう非常に人間的なところが今回もすごく出ていて、さすが白石監督だなと思いました。監督もそっちに入りたいのかなとか思っちゃいました(笑)。

白石 いやいや入りたくはないですけどね。ただ、どんな映画をつくっていても人間って一体何なんだろうっていうことがテーマになってる、そこを見てみたい。いや、見ることはできないのでしょうけど、その外枠みたいなところを少しずつめくっているような、そんな作業をしているんだなというのは、毎回、映画をつくるたびに思っています。