Sep 22, 2017 interview

第1回:それが宣伝の醍醐味です!

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池ノ辺直子の「新・映画は愛よ!!」

Season17  vol.01 東宝東和株式会社 営業本部 宣伝部アドバタイジング室 山田武司 氏

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映画が大好きで、映画の仕事に関われてなんて幸せもんだと思っている予告編制作会社代表の池ノ辺直子が、同じく映画大好きな業界の人たちと語り合う「新・映画は愛よ!!」

今回から4回にわたって、東宝東和株式会社で9月29日公開の映画『僕のワンダフル・ライフ』の宣伝を担当されている山田武司さんに、ご自身が関わってきた映画の宣伝などのお話を伺っていきます

→前回までのコラムはこちら

池ノ辺直子 (以下 池ノ辺)

今日はよろしくお願いします。

山田武司 (以下、山田)

久しぶりですよね。

池ノ辺

そうなんです。

山田さんとは『僕のワンダフル・ライフ』で久しぶりに一緒に仕事しました。

もうTVスポットまで作って、後は初日を待つだけという感じですね。

山田

それが宣伝の醍醐味ですよね。

予告が3ヶ月くらい前にできあがって、公開が近くなると、映画の情報やイベントがマスコミを通じて広まって、23週間くらい前からTVスポットが集中して流れるようになって。

池ノ辺

私は試写を見せていただいた時に、最初から最後まで号泣で。

もう泣いて泣いて……。

試写の後、宣伝プロデューサーに「これ化けるよ」って言ったんですよ。

山田さん、手応えはどうですか?

山田

やっぱり、池ノ辺さんに作っていただいた予告編のおかげだと思いますけど、「予告編だけで泣ける!」という反応が本当に多くて。

これから映画を見ようという前にあまりに予告編で泣いちゃうから、映画に入り込めない。

これは犯罪だと(笑)。

池ノ辺

ちょうど今、『怪盗グルーのミニオン大脱走』の前に予告編が流れていますよね?

山田

ありがたいことに他の作品でも結構流していただいています。

この間、よみうりホールで一般のお客さんを対象にした『僕のワンダフル・ライフ』の試写会をやったんです。

そうしたら、上映が終わった途端に拍手がわきました。

池ノ辺

素晴らしい !

試写会で拍手って久しぶりですよね。

山田

そうですね。

 予告も素敵な仕上がりですが、映画そのものも素敵ですよ。

 非常に多くの方に支持されていて、泣けるけど悲しいだけじゃなくて、笑えもするし、愛おしくもなる。

そういう意味ではエンターテインメントとして、非常によくできています。

池ノ辺

一人の男性の人生をちゃんと追っていて、そこにワンちゃんと再会するドラマがあって、とてもいいんですよ。

山田

自分を助けてくれた最愛の飼い主に会うために、50年間で3回生まれかわってくる犬の名前がベイリー。

池ノ辺

そうだ、ベイリーだ。

かわいいのよ。

この映画のお話は後でまたするとして、山田さんの経歴などをたどってみましょう。

1984年に東宝東和さんに入社ということですが、最初はどんなお仕事を?

山田

僕は入社して最初は広報部に配属されました。

入社した1984年は有楽町マリオンの日本劇場が開館した年です。

その日劇が来年に閉館するというのも感慨深いですね。

池ノ辺

広報、つまりパブリシティ。

ということは、すぐ宣伝ということですね?

山田

そうです、入った時からずっと宣伝でした。

広報部では主に電波媒体を担当していました。

そういうこともあって、昔はよくテレビにも映画の宣伝で出ていましたよ。

池ノ辺

テレビに出てた?

山田

昔はテレビ局が年末年始とかに映画会社対抗の宣伝マン大会があって出たりしたんです。

『タモリ倶楽部』とか・・・。

池ノ辺

昔のパブリシティって、そういうことやってたんですね。

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山田

ジェットコースターで、プラスチック製のビーカーに入った水をこぼさないように顔で押さえて乗ったりしました。

最後に水をメスシリンダーに移して、水が多く残った順に宣伝時間が決まって、映画の宣伝ができる(笑)。

池ノ辺

広報には何年ぐらいいたんですか?

山田

広報は6年ぐらい。

池ノ辺

その後は、広告に?

山田

広告部、アドバタイジングですね。

そこに移動しまして、宣伝プロデューサーの下でポスターやプレスシートや新聞広告、そして予告編制作のアシスタントをするようになりました。

池ノ辺

なるほど。

それで予告編を担当した山田さんと私が一緒に初めて仕事をしたのが……何でしたっけ?

山田

エイドリアン・ライン監督の『ジェイコブス・ラダー』(1990年)。

池ノ辺

それが最初でした?

山田

そうです。

僕は広告部に入ったばかりで、アシスタントとして『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)などのポスターやプレスシートの制作に加わったんですが、予告編は『ジェイコブス・ラダー』が初めてだったんですよ。

池ノ辺

じゃあ、山田さんと予告編作りをご一緒したのは、私が初めて?

山田

そうです、『ジェイコブス・ラダー』が最初です。

『ジェイコブス・ラダー』は、すでに宣伝プロデューサーが、池ノ辺さんと予告内容を固めていましたから、僕は何もわからずアオイスタジオのダビングに立ち会って、そこで池ノ辺さんと初めてお会いしたような感じでした。

その後、予告やTVスポットの制作などを専門に担当するようになったんです。

池ノ辺

そうなんですね。

私とはその後が『L.A.ストーリー / 恋が降る街』(1991年)、そして『フォー・ウェディング』(1994年)。

この3つですかね?

山田

他にもやっているかもしれないですけれど、僕の印象に強いのは、その3本ですね。

池ノ辺

すごい昔の話なんで、私も忘れちゃった(笑)。

それで、山田さんは2010年に宣伝部長になられるんですけど、その後、心臓を悪くされて東和プロモーションに行かれたんですよね。

山田

心臓のバイパス手術をしたんです。

池ノ辺

苦しいとか、自覚はあったんですか?

山田

あれ?っと思うことはありました。

階段を上ったりした時に目の前が真っ白になるような、瞳孔が開いちゃうような感じ。

背中の重い感じとか。

池ノ辺

あっ、それはちょっと不味い。