Mar 28, 2017 interview

第3回:いいなと思ったプロデューサーが三人いて、今でもそれは変わらないんです。

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池ノ辺

でも大学は映画関係を選ばなかったんですよね?

谷島

映画の仕事を得るために日大芸術学部に行くとか、そういう知識が全くなかったんですよね。

池ノ辺

昔はそうでしたね。

今はもう色々情報があふれているから。

谷島

僕は中学生のころに映画研究会みたいな言葉を知って、高校に行って映研みたいなところに入れば映画がいっぱい見られるんじゃないかなと思ったら、自分が入った高校には映研がなかった(笑)。

それで今のうちに身体を動かしたいと思って某運動部に入るわけなんですけど、土日はやっぱり一人で映画を見に行ったりしていました。

池ノ辺

それでも映画を見ていたんですね。

谷島

やっぱり好きだったんだと思う。

某運動部の友達の中にも映画好きな奴がいて。

そのうち2年生くらいになると、合コンで知り合った女の子と『スペースバンパイア』を見に行ったりしていました。

結局、高校3年間で映画とは一度たりとも切れなかったね。

僕は付属高校だったから、そのままエスカレーターで大学に入ったんです。

池ノ辺

大学に映研はあったんですか?

谷島

ありました(笑)。

経済学部でマルクス経済論を学びながら、いよいよ映画研究会に入ったわけです。

でもね、映研はすごく斜に構えている人たちばかりで、ちょっと嫌な雰囲気だったんですね。

「こいつらとは嫌だな」と思って辞めたら、マスメディア研究愛好会というのがあって。

そこは映画も撮るし、ミニコミ誌も作るし、ラジオ番組も制作するところだったので、そこに入って8ミリ映画をシコシコ作ったりしていました。

池ノ辺

そこでいろいろ作りながら、楽しくやっていたわけですね。

谷島

だけどその時に、自分が映画監督をやるのは無理だなと思ったんです。

池ノ辺

なぜ?

谷島

いろいろ映画を見ていたからかもしれないですけど、自分にはオリジナリティがないと思ったんですよ。

池ノ辺

ゼロからものを作っていくのは、ちょっと無理かなと思ったわけですね?

谷島

映画監督というのはかつてない新しいものを作る人。

それは独特のオリジナリティがないと無理でしょ。

独創的な、他の追随を許さないセンスです。

いろんな友達に言っていたのをはっきり覚えているんだけど、僕が映画監督になっても、ものすごく作家性を発揮するような人にはなれないなと。

だから新しいクリエイターをサポートするようなプロデューサーになりたいと思ったんです。