Mar 28, 2017 interview

第3回:いいなと思ったプロデューサーが三人いて、今でもそれは変わらないんです。

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池ノ辺直子の「新・映画は愛よ!!」

Season14  vol.03 アスミック・エース株式会社 配信企画プロジェクト推進室長 兼 コンテンツ事業部コンテンツ企画グループ長 谷島正之 氏

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映画が大好きで、映画の仕事に関われてなんて幸せもんだと思っている予告編制作会社代表の池ノ辺直子が、同じく映画大好きな業界の人たちと語り合う「新・映画は愛よ!!」

今回は、映画『3月のライオン』プロデューサーのアスミック・エース(株)谷島正之さんに、これまでの映画人生やプロデューサーというポジションに関する想いなどを伺っていきます。

→前回までのコラムはこちら

池ノ辺直子 (以下 池ノ辺)

さて、この回からは、谷島さんのこれまでの人生をうかがっていきたいんですが、生まれは東京ですか?

谷島正之 (以下、谷島)

僕は東京生まれの東京育ちなんです。

だから近くに映画館がいっぱいあった。

池ノ辺

小さい頃からお母さんが映画に連れて行ってくれたそうですね。

谷島

母親が映画好きだったので、一緒に見に行って好きになったのは間違いない。

その中でも小校2年生の時に見た『タワーリング・インフェルノ』、これが僕の中では激烈な出会いですね。

スクリーンの中の人間たちと、同じ時間を生きる興奮を感じたんですよね。

あの映画の舞台である超高層ビルの135階に僕も居て、地獄の炎が刻々と迫る恐怖に手に汗握っていたんです。

池ノ辺

ずいぶん興奮したわけですね。

谷島

ものすごく興奮した。

後から思ったんですけど、やっぱり映画ってダイナミズムとヒューマニズムだと思うんです。

それを軸とし、映画に臨場感が溢れ、観客に迫る“体感映画”が、ヒューマンドラマでもホラーでも、私が最も大切にしているコンセプトです。

『タワーリング・インフェルノ』には、それがみなぎっていた。

ダイナミックな設定と映像の洪水、そこに人間たちの機微が細かくグランドホテル形式で描かれていて、これぞ映画だと思ったんです。

これが僕の原体験ですね。

池ノ辺

その時に映画の仕事をしようと決めたんですか?

谷島

映画の仕事に携わりたい、作りたいとまで思っていたのかわからないんですけど、よく覚えているのは小学校の卒業式の日に、クラスで将来の夢を全員が言うことになったんです。

この時に「僕は将来、映画の会社に入ってクラスのみんなに映画のチケットを送りたいと思います」と言ってた(笑)。

大好きな映画に携わりたいという思いが、どうやら小学6年生にしてあったみたいですね。