Nov 11, 2016 interview

第7回:それくらいやらないと、東京国際映画祭なんて知られていかないぞっていう危機感もありました

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池ノ辺直子の「新・映画は愛よ!!」

Season11  vol.07 東京国際映画祭・事務局次長 井原敦哉 氏

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映画が大好きで、映画の仕事に関われてなんて幸せもんだと思っている予告編制作会社代表の池ノ辺直子が、同じく映画大好きな業界の人たちと語り合う「新・映画は愛よ!!」 第7回は、いよいよ井原さんとの対談も最終回です。アスミック・エースから角川エンタテインメント、そして角川映画から東京映画祭事務局へと出向した経緯や今後について伺いました。

→前回までのコラムはこちら

池ノ辺直子 (以下 池ノ辺)

アスミック・エースがドリームワークス作品を配給するにあたって井原さんが担当したのが『シャーク・テイル』でしたよね?

井原敦哉 (以下、井原)

そうです、それ以降全作品に関わりました。

池ノ辺

そうだったのね。

そしてこの『シャーク・テイル』の件があったからこそ、角川エンタテインメントという会社が生まれたということになるのかしら?

井原

角川エンタテインメントはそもそも角川グループの映像資産をひとつにまとめる販社として誕生したんです。

角川映画は大映と日本ヘラルド映画を吸収合併した結果、さまざまなコンテンツを保有するけれど、そのバラバラのコンテンツをひとつの会社として販売していく販社を作るべきじゃないのかということが最初の基本構造だったんです。

当初ドリームワークス作品はアスミック・エースで扱っていましたが、アスミック・エースは邦画を製作・配給宣伝して、かつ洋画の買い付けも配給宣伝もしていたのですが、それに加えてドリームワークスの作品配給をはじめたことで、結構な大事業になってきた訳です。

その一方で、ドリームワークスはアメリカの一大スタジオですので、複数の会社の作品をまとめて扱うような“ワン・オブ・ゼム”はダメだと言ってきて、ひとつの会社でしっかり見なさいというお達しが届くんです。

なので、配給はアスミック・エースのまま、宣伝機能のみ2006年から角川エンタテインメントに移りました。

池ノ辺

その頃、井原さんはアスミック・エースの宣伝部長だったのよね。

井原

そうです、それから角川エンタテインメントに出向という形で、ドリームワークスの仕事を始めた訳です。

池ノ辺

いまの東宝東和が、東和ピクチャーズを作ったというような感じと近いのかしら。

井原

でもレベルが違いますね。

東宝東和さんはユニバーサル作品を、東和ピクチャーズさんはパラマウント作品を扱ういわゆる日本支社みたいな機能なんです。

当時アスミック・エースはしっかりした組織でしたが、角川エンタテインメントはあくまでもビデオの販社であって、配給会社の機能は保持していなかったですから。

池ノ辺

結局、角川エンタテインメントには何年いらっしゃったんですか?

井原

3年ですね。ちなみに、角川エンタテインメントは最終的に角川映画と合併するんです。

池ノ辺

たしか、2010年4月から『トワイライト』シリーズの5作品をご一緒しました。

こんなにこの作品がわかっているのは、日本でわたしくらいなんじゃないかっていうくらい、たくさん観ました。

ダイジェスト版も作りました、何と言っても、アメリカの大ヒット作品ですから。

井原

『トワイライト 初恋』と『ニュームーン/トワイライト・サーガ』の頃はまだ角川エンタテインメントでしたね。

ちなみに日本とギリシャ以外の国では全作品ヒットしました(笑)日本にもトワイライターはいるんですが母数が少なかった。

理由としては、肝心の本が日本ではあまり売れなかったんですよ、海外はハリー・ポッターと肩を並べるほどの作品なのに

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池ノ辺

わたしね、その当時の事ですごく覚えていることがあるの。

角川エンタテイメントという会社ができて、その中でドリームワークスの作品を担当する時に、井原さんはアスミック・エースから出向で宣伝部長として来ているから、「井原さんはここでダメだったら、またアスミック・エースに戻れるんですよね」という不安がスタッフの中にあったそうなんです。

だから自分がちゃんとここに腰をすえないとだめだと思って、角川エンタテインメントに移籍して、退路を断ったと聞いたこと。

それはすごいなと思って。

井原

だから自分の籍を完全に移して、宣伝部長として角川エンタテインメントに行きました。

池ノ辺

さきほど話に出たように、角川エンタテインメントが角川映画に吸収合併されたから、角川映画にはコンテンツも人も、すべてありましたよね。

ヘラルドの作品も大映の作品もあったし、働いている人たちも、いろんなタイプがいらっしゃって

井原

だからこそ異文化同士の刺激というか摩擦というか、戦いもあったと思います。

角川映画にいたのは1年くらいで、その後に今度は角川書店に吸収合併されて飯田橋に行くことになります

池ノ辺

目まぐるしい展開でした。

井原

業界はこの頃からいわゆる邦画メジャーとインディペンデント会社の差が大きくなっていきましたね。

インディペンデント会社の生命線でもあった渋谷を中心とした単館系映画が苦しくなってきて、映画館も次々と閉鎖されて、そこに存在した文化が細くなっていったんです。

一方シネコンはどんどん拡大していき全国画一化した文化が形成されていくのですが、10億~30億円くらいのヒットが飛ばしづらくなっていきました。

みんなが観ている作品に人が群がり、そうでない作品との差が開くばかり。

あれだけヒット作を連発していたアスミック・エースという会社でさえ、苦しい時代になってきていました

池ノ辺

そうなると、どう映画を作っていくかということが重要ですね。

井原

当時は独自路線でできたことも大きいです。

インディペンデントならではのサブカルな作品で、メジャーの映画会社が作れなかったものを作ろうという気概もあったのですが、そうした空気に宮藤官九郎さんがピタッとはまっていましたね。

でも今は時代が変わりました。

たとえば、当時インディペンデント会社が得意としていたような『デトロイト・メタル・シティ』とか、ああいう尖がった作品を邦画メジャーが作っていくようになったわけです。

でも、『Too Young To Die! 若くして死ぬ』のように、東宝さんとアスミック・エースの共同配給というまた新たなコラボが生まれたりして、市場を活性化させているのに新たなステージを感じますね。

そしてこれも監督はクドカンです

池ノ辺

あ!昔に戻った(笑)

角川時代の印象的な作品は?

井原

やっぱり『天地明察』かな、あと『漫才ギャング』。

でもなかなか難しかったですね、『漫才ギャング』は東日本大震災とぶつかってしまいプロモーションと興行に大きく影響しました。

池ノ辺

それらの作品の配給から制作、宣伝までいろいろされて、その後、2012年に東京国際映画祭に出向されました。

そして新しいマーケティングの手法をどんどん展開されて、映画祭というイベントを大きくしてこられたわけですよね

井原

そうですね(笑)いまは映画祭選任です。

映画祭では、各部門のヘッドを務める出向者が毎年のように顔ぶれが変わってしまうというのはよくないなと思って。

映画祭をよく知らない人が来てわーっとやって、どんどん人事が変わっていくと、やっぱり情報も知見も蓄積されていかないから、これはもうやめましょうと。

生え抜きの人間を引き上げようという組織改革をやって、だいぶ今の組織の基盤が出来始めてきたと感じています。

でもまだまだ、映画祭は業界人のイベントだと思われているふしがあるので、みんなのイベントなんだよということをもっと定着させていきたいですね

池ノ辺

やっぱりオープニングの華やかなレッドカーペットばかりが報道されちゃうのがよくないのかしら。

以前の会場は渋谷だったわよね。

井原

Bunkamuraオーチャードホールでした。

やっぱりあれくらいの大きさがあった方がいいのかなあとも思いますね

池ノ辺

また話が戻っちゃうけど、2年前の東京国際映画祭でオープニングに「嵐」のメンバーを登場させる仕掛けをしたのは、井原さんなんでしょう?

井原

いえ、あれはキャスティングが決定した後、現場での調整を私がやったということです。

当時言われていたのは「東京国際映画祭には抗生物質と漢方薬が必要だ」と。

あの仕掛けは「抗生物質」の方で、メディアがしっかりと集まってくるような劇薬的な事でもないと、東京国際映画祭なんて一般には知られていかないぞっていう危機感があったから行ったんです。

今年も歌舞伎座での無声映画上映の弁士に噺り屋として古舘伊知郎さんに登場頂いたり、様々な方々のご協力を頂きながら話題性のあるものを仕掛けて来ました

池ノ辺

今後、映画祭がどんな風に変わっていくのか楽しみです。

それでは、毎回みなさんにお聞きさせている質問を最後にさせてください。

井原さんにとって、「映画って何ですか?」

井原

映画って、人生経験の疑似体験ができるんです。

だから僕としては、映画は「人生観と仕事の幅を広げてくれる大切なパートナー」です。

池ノ辺

それは大学を卒業した頃に、「流行や文化をつくるエンタテイメントの仕事をしたい」と思ったことを、ずっとやられてこられていたということだし、夢を叶えたということですよね。

井原

そうですね、まだまだこれからですけど。

(文:otoCoto編集部、写真:岡本英理)


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第29回 東京国際映画祭

日本の映画産業、文化振興に大きく寄与してきた映画祭で、国際映画製作者連盟公認としては日本唯一の国際映画祭。今年は日本映画の特集上映では、アニメーション作品『バケモノの子』を監督した細田守の特集や、黒木華主演の最新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』で日本映画として約12年ぶりに実写長編映画を手がけた岩井俊二監督の特集企画が決定。

11月3日(木)映画祭会期終了 会場:六本木ヒルズ、EXシアター六本木ほか。

http://2016.tiff-jp.net/ja/

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PROFILE

■ 井原 敦哉(いはら あつや) 公益財団法人 ユニジャパン 東京国際映画祭 事務局次長

1968年、長崎県生まれ。1993年に明治大学を卒業後、株式会社ギャガ・コミュニケーションズに入社。パブリシティ、宣伝プロデューサー業務に従事。99年にアスミック・エース エンタテインメント株式会社に移籍、宣伝部長を務める。2007年に株式会社角川エンタテインメントに転籍し、宣伝部長として、ハリウッドのドリームワークス作品を手がける。10年に角川映画の宣伝部長、11年角川書店と合併し、映画営業局局次長兼映画宣伝部長に。12年公益財団法人ユニジャパンに出向、東京国際映画祭事務局次長に就任、現在至る。

池ノ辺直子

映像ディレクター。株式会社バカ・ザ・バッカ代表取締役社長
これまでに手がけた予告篇は、『ボディーガード』『フォレスト・ガンプ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー シリーズ』『マディソン郡の橋』『トップガン』『羊たちの沈黙』『博士と彼女のセオリー』『シェイプ・オブ・ウォーター』『ノマドランド』『ザ・メニュー』『哀れなるものたち』ほか1100本以上。
著書に「映画は予告篇が面白い」(光文社刊)がある。 WOWOWプラス審議委員、 予告編上映カフェ「 Café WASUGAZEN」も運営もしている。
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