朝ドラの新作『ひよっこ』開始を記念して、ドラマ部部長の遠藤理史さんへのインタビュー。前編では、毎回、黒ひげ危機一発ゲームのような気持ちで取り組んでいるお話を伺いました。後編では、朝ドラで描いてきたことの変化について、当事者の分析を伺います。時代の変化と共に視聴者の年齢の変化が、作品の内容に影響を及ぼしているようです。
自分探しや自己実現がテーマになった時代と朝ドラの低迷期はなんとなくリンクしている
──『ひよっこ』は出来上がったものを観ていかがですか?
今、3週目まで観たところです(注:取材は3月上旬に行われました)。台本のときから「これはおもしろいんじゃないかな」と思っていたら、実際なかなかおもしろく出来上がりました。ぜひ期待してください。
──『ひよっこ』はこれまで岡田さんが描いたことのない高度成長の日本を舞台にされたそうですね。00年代前半は戦争の話をほとんどやらずに現代劇が多く、この10年くらいは戦争前後の作品が多い。『べっぴんさん』も戦中戦後が描かれましたが、高度成長期まで話が進みました。その後が『ひよっこ』で昭和の成長期を描く時代がはじまったのかなとも思ったのですが、時代の選択はどうされているのですか。
戦争は目立つエポックではありますが、戦争が大事なわけではないですし、戦争がドラマの中にあるかないかで別にドラマの企画を分けているわけではないんですね。朝ドラは開始からずっと、女性が主人公で、女性と社会のふれあいみたいなことがなんとなくのテーマになってきていますが、その社会が時代によって違うので、そのたび、主人公の生き様にも変化があります。
例えば、僕が子どもの頃の朝ドラは、主人公が「私、働くわ」と言えばドラマになったんですよ。すると「なんだって。お前、働くのか」と親が反対し、それを押し切って職場に行けば「女が何しに来た」と言われ……というようなことが定番でした。
ところが、早晩それではドラマにならない時代がやってきて、「女性の進出がそんなに進んでないところへ働きに行く」ことがドラマになります。大工や弁護士、医者などですね。すでに女性も働いてはいたけれど、「女性の仕事ってこういう感じだよね」という先入観の殻を破っていく人物が主人公になりました。で、これも早晩行き詰る(笑)。1985年に男女雇用機会均等法が施行されて10年ぐらいすると、建前としては男女平等になり、そうするともうどんな仕事でも「働くわ」だけではドラマにならない。
その後にやってきたのが、なんとなく自己実現とか自分探し……要するに「働くということが自分のアイデンティティになっちゃうばかりじゃないよね」という時代が90年代後半ぐらいからやってきたように思うんです。例えば、「あの朝ドラ」と言ったときに職種が思い浮かぶタイプの朝ドラは、大工だと『天うらら』(98年)で、弁護士だと『ひまわり』(96年)です。一方、『ちゅらさん』は人気が高かったですが、主人公が何の仕事していたか意外に覚えてなくないですか?
──確かに(笑)。
看護士なんですけどね。そういう流れの中で、自分探しや自己実現がテーマになった時代と朝ドラの低迷期はなんとなくリンクしているように思うんです。僕らも朝ドラという枠の方向性に迷っていたといいますか、要するに今の女性たちが求めている女性像みたいなものをどこに求めたらいいのかな、と試行錯誤していたんですね。さきほどの戦争の話で言うと、80年代90年代の頃って、戦争の話をやると戦争体験のある視聴者の方々から「戦争の場面を見るのがイヤだ」というご意見がけっこう来るようになりました。戦争直後は戦争の場面があまり描かれず、それからしばらくすると戦争の場面をやっても大丈夫な時代がやってきましたが、戦争の本当の体験者が高齢化してくると見るパワーがなくなってくるのかわからないですけど、「観たくない」と言う人が多くなって来た時期と、「僕らも戦争の描き方についてもうちょっとセンシティブにならなくちゃいけないんじゃないか」という時期がたまたまリンクしているんです。こうして戦争から離れた現代劇をやるようになったのが2000年代のはじめですね。
そしてもうひとつ、今の朝ドラの流れの大きな分岐点になったのが『ゲゲゲの女房』です。そこで朝ドラの時間帯が変わりました。