Jan 01, 2019 interview

放送開始直前 大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』 金栗四三役・中村勘九郎、田畑政治役・阿部サダヲ インタビュー

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2019年1月6日(日)からはじまる大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』)。脚本の宮藤官九郎ほか、朝ドラ『あまちゃん』(13年)のスタッフがそろった『いだてん』に対する世間の期待は大きい。
そのドラマの主人公はふたり。日本ではじめてオリンピックに参加したマラソン選手・金栗四三(中村勘九郎)、日本へのオリンピック招致に尽力した田畑政治(阿部サダヲ)。1年間のドラマのなかで前半(24回まで)・金栗、後半(25回から)・田畑が中心になって描かれる。そこをつなぐのが“落語”。古今亭志ん生(ビートたけし)が「東京オリムピック噺」という落語を噺すというユニークな趣向だ。
最初に日本人がオリンピックに参加した1912年(ストックホルムオリンピック)、日本でオリンピックが開催される1964年(東京オリンピック)までの激動の半世紀を、ふたりの主人公がバトンをもって走るリレー形式で描くドラマだけに、中村と阿部の共演シーンはそれほどないが、会見はふたりいっしょ。笑いが絶えない約1時間だった。

 

ドラマの前半と後半はガラリと変わる

 

──宮藤官九郎さんの脚本はいかがですか?

阿部 「オリンピック」と「落語」をリンクさせることが宮藤さんらしく、すごいところを突いていて面白いです。最終回の、落語でいうところの「サゲ」がどうなるのか、放送がはじまる前から期待しています。と言うと、これから最終回を書く宮藤さんのプレッシャーになっちゃいますかね?

中村 はははは。「サゲ」というと、最終回に限らず、その回の最後に「サゲ」に当たる部分がありまして、そこに落語の演目が使われているところが面白いです。

阿部 最近NHKでも『落語THE MOVIE』や『昭和元禄落語心中』などの落語ものを放送しているから、視聴者の方にも馴染みやすく、楽しんでいただけるのではないかと思います。明治からはじまるドラマですが、ときに昭和の古今亭志ん生さんが出てきてしゃべることもあって、それも面白いです。

中村 明治から昭和にかけての物語を、宮藤さんは時空を飛び越えて書いていますが、けっしてごちゃごちゃにならないところがすごい。毎回、台本を読むことが楽しみでしょうがないです。自分が出ている、出てない、関係なく、ほんとに面白い作品だと思います。第一話からすごくて、僕が演じる金栗四三は主人公にもかかわらずなかなか出てこないんです。ようやく登場したかと思うと、すごい感じで出てきます(のちに、真っ赤なくまどりメイクのような形相で走って出てくると紹介された)。脚本だけでなく演出もすごくて、演出の井上剛さんから登場プランを聞いたとき、そんなことを大河でやるんだ? 大丈夫かな? と驚きました。

阿部 宮藤さんは方言をうまく使っています。またこう、なんか流行りそうなチョイスをするんですよね(笑)。

中村 ははは。「ばっ!」ですね。

阿部 可愛いですよね。

中村 驚いたときに「ばっ!」って言うのがあって、いろんな「ばっ!」が出てきて楽しいですよ。

 

──金栗四三、田畑政治、演じる役柄についてどう思っていますか。

中村 熊本弁で「とつけむにゃあ」という言葉がありまして。金栗四三さんは、まさに「とつけむにゃあ」な人だと思います。ほんとに、いい意味で“バカ”なんだと思います。走ることしか考えてないんです。それを、まわりがみんなで支えてくれる。そのキャラクターひとりひとりがチャーミングで、愛があって、素敵なひとたちばかりで。皆さんに囲まれて演じているととても楽しいです。大河の主役といえば、甲冑をはじめとした派手な装束が見どころにもかかわらず、金栗はだいたいユニフォームと体操着しか着てない。大河史上いちばん地味かもしれません(笑)。

阿部 田畑さんは、とても頭の回転が速い方です。もともと新聞記者だから、話術で人の心を掴んで、言葉でガンガン攻めてくタイプの人です。それでいて、常識的じゃないというか、突如、大人物に直談判をしに行って資金を出してもらったりするんですよ。田畑さんの周りの人は大変だったのではないかと感じています。

中村 めっちゃ面白い人物ですよね。いま(取材会は10月末に行われた)、前半と後半の分かれ目、25回くらいを撮影していますが、田畑さんはいきなり目の前の人を批判しますから。

阿部 どこでも噛み付いていく人なんですよね(笑)。もっとも、このふたり、憎めない人という点においては共通している気がします。台本に描かれた金栗さんはとてもかわいらしくて、とりわけ、夫婦の関係がすごくいいですね。

中村 ピュアですよね。結婚しても、走ることしか考えていなくて、せっかく奥さんが東京に来ても「帰って」とか言うんですよ。ほんとはそんなことしちゃいけないと思いますが、金栗さんだから赦せるというか。それだけ走ることに情熱を注いでいることに憧れすら覚えます。

 

 

──前半と後半で話が変わるのでしょうか?

阿部 金栗さんが主役の前半と、田畑が主役の後半とではテイストががらっと変わります。

中村 陸上と水泳という競技の違いもありますが、台詞量が全然違います。ぼくは前半、ほとんど走っているだけですが(笑)、後半、阿部さんは、ぼくの3倍くらいしゃべりますよね。全部はまだ台本ができていませんが、少なくとも後半のはじまり1回でたぶん僕の24回分ぐらい喋っている印象があります。

阿部 金栗さんには(マラソンを走るための)呼吸法がありますが、田畑さんは呼吸忘れて喋り続けて息切れしてしまい、「息継ぎをしろ」と言われるぐらいの人なんですよね。

中村 25回ぐらいで主役は交代するとはいえ、完全な交代ではなく、金栗もちょこちょこ出てきます。主役の期間を過ぎても、気持ちよく終われないですが、ずっと出ていられるのはうれしくもありますので、モチベーションを最後まで下げないようにしたいと思います。

 

──プレイヤーであると同時に教育者でもあった金栗さんの教育者としての魅力を教えてください。

中村 金栗さんの教育者としての側面は、宮藤さんの脚本ですごく面白く描かれています。とにかく走ることが大好きで、それしか頭にない人なので、それについて情熱を持って教育すれば、おのずとついてきてくれるものだということがわかるエピソードが描かれています。女子校の先生になって、女子生徒から翻弄されるところも見どころです。お年を召されてからも「走ろう会」を作って、たくさんの人たちが金栗さんを慕って弟子として集まってくる。そういう人を惹きつける懐の大きさ、優しさ、情熱、一途さを出せたらいいなと思います。

 

──いままで出会ってきた教師で、印象に残っている方はいますか?

中村 やっぱり父ですかねえ……。もう“すべて”でしたから。金栗さんにとって、そういう存在が嘉納先生なんです。だから、役所広司さんと一緒にお芝居させていただいたら、なんかお父さんのような気になって崇拝する気持ちをいだきました。

阿部 松尾スズキさん。やっぱり、いま、ぼくがここにいるのは松尾スズキさんのおかげです。

 

──近現代のドラマで、田畑さんのことを覚えている方も存命の中、実在の方を演じることについてどう思いますか。

阿部 田畑さんは「日本水泳の父」と言われている方です。先日、地元の浜松で「田畑政治展」をやっていたので見にいったら、「徳川家康から田畑政治へ」という大きい看板がありました。田畑さんという人物をもっと多くの人に知っていただけるように盛り上げていきたいと思っています。展示で、金栗さんと田畑さんが一緒に並んでいる写真を見つけ、驚きました。

 

──役に共感するところはありますか。

阿部 田畑さんはすごくせっかちらしいんです。火がついている煙草も逆に吸っちゃうぐらいに。ぼくはそこまでではないんですけれども、ちょっとせっかちなところはあります。人より歩くのが速かったりとか、ちょっと待てなかったりとか、コース料理が苦手で、すぐメインを食べたいと思ってしまうんです(笑)。そういうところが少し似ているかなと思います。

 

大河ドラマの主役をやること

 

──“大河の主役”について思うことをお聞かせください。

中村 歴史ある大河ドラマの主役と、最初に聞いたときは、うれしさよりも、大丈夫かな? と心配でしたが、金栗さんのエピソードを読んだり聞いたり、宮藤さんの脚本を読ませていただいて、これは大丈夫だと感じました。宮藤さんの脚本がほんとに面白いので、これをちゃんとやれば、ちゃんと伝わるんだろうと。

阿部 ぼくがはじめて大河に出演させていただいたのは『元禄繚乱』(99年)で、わずか一話だけでしたが、主役が勘九郎さんのお父さん、勘三郎さん(当時は勘九郎)で、そのお姿を見て、大河の主役の凄さを感じたものです。僕にとって大河の主役といったら中村勘三郎さんみたいな方なんですよ。余談ではありますが、そのときに、たまたま勘三郎さんから、「いま、君んとこ(大人計画)の舞台、面白いんでしょ。チケット送ってよ」と言っていただいて、本名と住所を教えてくださったんです。それがきっかけで、舞台を見にきてくださるようになって、その後、松尾スズキさんと舞台をやったり、宮藤さんが歌舞伎を書いたりするようになりました。もともと、宮藤さんの名前はちょっと歌舞伎顔だから「官九郎」と松尾スズキさんがつけたもので、様々なご縁を勝手に感じているんです。そして、今度はぼくが大河の主役をやるときに、勘三郎さんの息子・勘九郎さんといっしょということには、大河の主役だからプレッシャーを感じるということよりも、すごいご縁だと感じることのほうが大きいです。