朝ドラこと連続テレビ小説の最新作、『ひよっこ』がはじまった。『べっぴんさん』『とと姉ちゃん』と戦中戦後のドラマが続いたが、今度は、東京オリンピックも開催された高度成長期が舞台となる。“女性の一代記”をテーマにして毎回手を替え、品を替えながら楽しませてくれる、朝の始まりに欠かせない朝ドラ。
放送の時間帯や期間や一本当たりの時間などの違いはあれど、各話視聴率がほぼ20%超え、圧倒的な注目度を誇る朝ドラですが、『ひよっこ』でもう96作目、毎回どのように内容は決定するのでしょうか? 朝ドラを何作も手がけてきた、NHK ドラマ部部長・遠藤理史さんに聞いてみたところ、時代、社会の変化のなかでいろいろな試行錯誤があるようです。
作家とプロデューサーは、朝ドラを作るとたいていケンカになる
──「ドラマ番組部部長」というお仕事はNHKのドラマ全部を見ているんですか?
いや、そうではないです。今、NHKにはドラマを作っている部署が大きく分けて2つあって、それがドラマ部を中心とする「東京ドラマ部」「大阪ドラマ部」「名古屋ドラマ部」「NEP(エンタープライズドラマ部)」でひとまとめ。もうひとつ、編成局が持っている「コンテンツ開発センター」は、外部プロダクションにドラマを作っていただいている部署です。
──ドラマ部長とは出版社における雑誌の編集長みたいなものでしょうか?
逆に雑誌の編集長がどういう仕事をしているのか良く知らないのですけれども(笑)、主に、先々の枠を決めて、企画を決めて、その担当者を決めます。ただ、「2年後の朝ドラの担当は君に任せる」と言う場合、脚本家を先に決めている場合もありますし、担当者に決めさせる場合もあります。企画内容も、基本的に担当者が考えて、それについてジャッジを部長がするという感じでしょうか。
──以前『ひよっこ』の脚本家・岡田惠和さんに取材をしたら、一緒にやりたいプロデューサーを指定したとおっしゃっていましたが、遠藤さんが岡田さんに最初に『ひよっこ』のお話をされたのですか?
そうですね。『ひよっこ』の場合は確か2年前ぐらい前に、ドラマ10『さよなら私』(14年)というドラマを岡田さんに書いていただいたときに「また朝ドラやりますか」というような話をした覚えがあります。
──遠藤さんがドラマ部部長になられてどれくらいですか?
もうすぐ丸3年ですね。87年に入局して、初任は地方局——長崎局で、1991年にドラマ番組部に来て、それからNEPドラマ、大阪ドラマ、東京ドラマ……で今に至ります。
──3年前というと、朝ドラだと『あまちゃん』(13年)ですか?
いや、『花子とアン』(14年)の途中で部長になりました。
──遠藤さんがドラマ部長になられて初めて決めた朝ドラは何ですか?
『とと姉ちゃん』(16年)だと思います。
──そのときは脚本家とプロデューサー、どちらを先に決めましたか。
僕は西田征史さんに脚本を書いてほしいと思っていて、「朝ドラ書く気ありますか?」と先に打診して、「できればやりたい」と言っていただいて。それから落合というプロデューサーに「朝ドラやる?」と聞いて、本人もやるというので、「僕としては西田さんに書いてほしいと思っているんだけど、どう?」みたいな感じですかね。もしそこで落合が「僕、西田さんとはできないです」と言ったら、どっちかを変えたと思います。
──それ、書いていいんですか。
いや、全然書いてかまわないですよ。つまり朝ドラを作ることは本当に大変で、人からあてがわれた相手と「仕事だから」というだけの理由で耐えられるほど楽ではないです。誤解を恐れずに言えば、「伴侶を選ぶ」みたいなものだと思います。つまり僕としては「君とこの人は合うと思うよ」とお見合いのセッティングはしますし、もちろんできればうまくいってほしいと願っていますが、引き合わせたら「後は若い方々で……」という(笑)。それでうまくいけばラッキーです。「ちょっとこの人とは……」というのを無理やり合わせても大体どっかで壊れますから。
──一年半くらい一緒にやられるわけですもんね。
そうですね。とてもきつい現場なので。もともとうまくいっている人たちですら大体ケンカになります。
──ケンカになるんですか(笑)。
はい(笑)。とてもうまく行っていたカップルでも「さあ結婚式の準備をするぞ」というと一回ぐらいケンカすると言われるじゃないですか(笑)。あれに近い。お互い本気になったときに全くケンカにならないのもちょっと不健全なくらいなので、そのケンカを「明るくケンカできるぐらいの仲になれるか」ということはとても重要だと思います。
──遠藤さんが朝ドラにプロデューサーとして担当した作品は?
僕は、部長になるまでに、朝ドラを5作やっていまして。プロデューサーとしては『ちりとてちん』(07年)1作です。ディレクターとしては『君の名は』(91年)、『あぐり』(97年)、『ちゅらさん』(01年)、『風のハルカ』(05年)です。
──プロデュース作『ちりとてちん』はケンカしながら作りました?(笑)
それはもう……さんざん(笑)。
──今なにか変な間があって、それがどれだけ大変だったかと物語っているような(笑)。『ちりとてちん』は好きな作品でした。
残念ながらヒットしなかったですが……。作っている僕らとしては、オンエアするその日までは「史上最高の朝ドラを作っている」と思っていたんですよ。「もう、これ以上のものはこれまで出たことがないはずだ」とスタッフ全員が思っていたはずです。で、ふたを開けてみると意外に数字(視聴率)は取れないし、それどころか下がっていく。「何が起きてるんだろう?」と思ったものの、原因は結局のところよくわからなかったですね。自分たちはあまりにも内側にいるので、「これがおもしろくないっていうことはないだろう」「もうちょっとどうしていいのかもわからない」という感じでした(笑)。
──私は好きでしたし、周囲は好きな人が多かったですけれど。
それは主に、いわゆる「みんなが好き」の「みんな」とは誰のことなのか、という問題だと思います。
──「みんな」って誰なんですかね?(笑)
つまり、自分の周りで「あれはおもしろいね」と盛り上がっていると業界の人たちが言うものは、やっぱりちょっと偏っているんですよ。だから、その向こうに多くの、テレビを外側から楽しんでいらっしゃるもっと大きなパイがいて、そこの好みと、もともとテレビ大好きでこの周辺にいる人たちの好みは同じじゃないとは思います。僕らは本来その大きなパイに向けて作っているので、そこに届かないとしたら僕らの負けなんです。