「これを書いたら辞めよう」と思うこともあるけれどやっぱり書くことが好きだから
──さて、秋吉さんはアメリカの大学院で映画を学んだこともあるそうですが、映画を作りたいと思った原体験は?
ティム・バートン監督の『シザーハンズ』です。手がハサミの人造人間が主人公という現実にはありえない設定なのですが、それを感じさせないほど感情移入してしまう、映像もストーリーも素晴らしい作品です。これをアメリカのハイスクールに通っている時に見て「こんな映画があるんだ!」と思ったのが原体験ですね。大学を卒業して小説を書きながらもこのイメージがずっと私の中にあって、小説はきっと年を取っても書いたり学んだりできるけれど映画は若いうちにしか学べない気がして、お金を貯めてアメリカに戻りました。
──ということは、小説を書きたいという気持ちは映画よりさらに前にあったということですね。
はい。本は昔から好きで片っ端から読んでいたのですが、小学6年生くらいの頃にたまたまカフカの『変身』がコタツの上に置いてあったので読んでみたら、いきなり1行目から主人公が虫になっているし、まったく救いのないエンディングで。私がそれまで読んでいた『小公女』のような児童文学は「努力は報われる」みたいなエンディングだったから、『変身』のバッドエンディングには雷に打たれたように衝撃を受けたんです。人間の運命って予定調和では終わりませんよね。だから、これが現実であり、これこそが文学なんじゃないかとその時に思いました。それを母に言ったら「太宰治も読んでみたら?」と言われて、読んでまた衝撃を受けて、「私も作家になる!」と宣言したのが最初のきっかけです。
──小学6年で衝撃を受けて、そこから書き始めたのですか?
書き始めたんですけれど、書き方が分からなくて、全然完結しませんでした。初めて書き上げたのは、早稲田大学に入って演習で書いた原稿用紙30枚程度の短編です。作家になりたいと思ってから大学に入るまで全然書けなかったんですよ。その時も書き方はまったく分からなくて苦しかったのですが、課題なので提出しなきゃいけないからなんとか30枚を埋めて出しました。でも、先生の評価はあまり芳しくなくて……。
──今はもうその苦しみから解放されましたか?
いえ、苦しいですね。『暗黒女子』も皆様に一気に書いたような感じとよく言っていただいて光栄なんですけれど、実際は苦しみながら、一行一行のたうち回りながら書いていました。もちろん書き上げると喜びになりますが、それまでは産みの苦しみで、「なんで私はこんなに書くのが遅いんだろう」って思ったりして(笑)。
──のたうち回るほどの苦しみを抱えながら書き続けるのには理由があるのですか?
「こんなに苦しいのにどうして書くんだろう」と私も思います。「これを書き上げたら、もう(作家を)辞めよう」なんて考えたりするんですけれど、書き上げると「次はこれを書きたい」とひらめくんですね。だから、苦しいけれど私は書くことが好きなんだろうなと思います。