Jul 16, 2020 column

04:ウォズニアックとの出会い

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業界のプロフェッショナルに、様々な視点でエンターテインメント分野の話を語っていただく本企画。日本のゲーム・エンターテインメント黎明期から活躍し現在も最前線で業務に携わる、エンタメ・ストラテジストの内海州史が、ゲーム業界を中心とする、デジタル・エンターテインメント業界の歴史を語ります。

03 「ソニー・コンピュータエンタテインメントの設立」はこちら

前章では、日本でのプレイステーションのローンチについての話をしてきましたが、今回は米国でのプレイステーションのローンチ時の話をしたいと思います。

日本で、株式会社ソニー・コンピューターエンタテインメント(以下SCE)がソニーとソニーミュージックの合弁で設立された経緯は前述しましたが、1993年11月のSCE設立と時を同じくして、私は米国に赴任となりました。ソニー本社のエンタテインメントビジネス担当の経営企画部門に所属していたため、ソニーの米国ヘッドクォーターがあるNYへの赴任でした。

当時のソニーはエンタテインメント業界になじもうという意味で少し派手な投資をしており、NYのソニーミュージックとエンタテインメント関連の本社機能を、元AT&Tの本社ビルに集結。それはそれは立派なもので、エグゼクティブ向けの社員食堂では料理の達人が握る5席しかない寿司カウンターもありました。

そこでしばらく私は、映画と音楽の事業について日本向けのレポートを作る業務をしていたのです。

米国では、エンタテインメント部門の下に任天堂とセガのゲーム機向けのソフト開発を行う規模の小さいゲームソフト部門がありました。そこの社長はまだ若く、そこまでビジネスの経験はありませんでしたが、NYのソニーのエンタテインメント部門のエグゼクティブの秘蔵っ子であり、かつアイスランドで新進気鋭の小説家のセレブだったのです。名前を オラフ・オラフソン (Olaf Olafsson)といいます。

彼にプレイステーションの可能性を説明したところ、米国でのプレイステーションビジネスの可能性をリサーチするという目的で1994年にSony Computer Entertainment of America(以下SCEA)という部門を作り、同時にエバンジェリストも1名雇う事となりました。この当時のSCEAはSony USAの100%出資子会社として1994年に設立されます(その後、1997年にSCEの配下へ改組)。SCEA設立にともない採用したエバンジェリストがLA在住でソニーミュージックのLAオフィスを間借りしているということを聞き、どんな人材なのかと思い直接本人に会いに行きました。

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