Jun 17, 2020 column

02: プレイステーション誕生

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業界のプロフェッショナルに、様々な視点でエンターテインメント分野の話を語っていただく本企画。日本のゲーム・エンターテインメント黎明期から活躍し現在も最前線で業務に携わる、エンタメ・ストラテジストの内海州史が、ゲーム業界を中心とする、デジタル・エンターテインメント業界の歴史を語ります。

01 「プレーステーションビジネスへの参画」はこちら

会社のプログラムで米国でMBAをとらせてもらった後、電機メーカーとは程遠い文化と会計の考え方を学べた事で、再びエンタテインメント系の管理や窓口を担当することになりました。

当時、このM&Aは日本がアメリカの文化を買ったなどと世間の批判が特に米国で大きかったこともあり、ソニー本社と音楽、映画会社との接点はなるべく少なくするような配慮がされましたが、それが後ほど大きな問題や事件に発展していきます。

ここでは、その詳細は省きますが、そういう背景もありソニーの本業のハードビジネスと映画や音楽などのソフトビジネスに関連する案件が私のいた部署に数多く入ってくることになります。モーションライドや映画のデジタルサウンドのフォーマットなど、面白くもあり、少しバブルのにおいのする案件も多くあったようです。

そんなある日、上司よりゲームビジネスについての会議に出席する指示を受けました。どんな内容かもわからずに出席した会議は、当時ソニーの社長だった大賀典雄さんも出席しており、任天堂から(ソニーの視点では)一方的に破棄されたCD-ROMベースのスーパーファミコンでの任天堂との協業事業に関しての対応に関するものでした。

ソニーがそのような事業に関わっていることすら知らなかったのですが、その会議の結論は任天堂との協業は断念、ソニーの関係会社との関係もあり任天堂とは法廷で争わない、そのプロジェクトを進めていたエンジニアの熱意もあり、今後ゲーム事業にどのように対応していくかを検討するというものでした。

そのエンジニアが後にいろいろお世話になる久夛良木健さんでした。

おそらく、上司はその結論が見えていたのでしょう、その時からソニーがゲームビジネスとどうのように携わる可能性があるかという調査と、シナリオをまとめて資料をつくる仕事が私に回ってきました。それがメインの仕事ではなかったのですが、参加している人たちが面白く私はどんどん深みに入り込んでいきます。

久夛良木さんという異才に目をつけて担ぎ上げていたのが、当時ソニーミュージック(SME)の重鎮であった丸山茂雄さん。

マルチメディアという言葉がはやっていた当時、ソニー・ミュージックエンタテインメント(以下SME)は、任天堂やセガのゲーム機向けのソフトを作るチームがあり、そのメンバーがソニー本社に面白いエンジニアがいるということで丸山さんに久夛良木さんを紹介したそうです。

アーチスト発掘に優れていた丸山さんがこれは面白い人材だということで、彼のマネージャー(アーティストのマネージャーの感覚)を買って出ていました。ただ、ソニー本社のハードウェアビジネスの政治はわからないということで、経営企画部門を通して私が属していた、エンタテインメントに関連する部隊にサポートの要請が来たそうです。