Jun 20, 2020 column

03: ソニー・コンピュータエンタテインメントの設立

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業界のプロフェッショナルに、様々な視点でエンタテインメント分野の話を語っていただく本企画。日本のゲーム・エンタテインメント黎明期から活躍し現在も最前線で業務に携わる、エンタメ・ストラテジストの内海州史が、ゲーム業界を中心とする、デジタル・エンタテインメント業界の歴史を語ります。

02 「プレーステーション誕生」はこちら

当然のことながら、任天堂に対しては徹底的な研究を行いました。

例えば、当時では考えられない能力を持つハードを久多良さんが用意したとしても、ソニーは自らゲームを作る能力も低く、サードパーティを巻き込まないと勝負になりません。

前回書きましたが、丸山さんを筆頭とするソフトウェア部隊は任天堂の弱みを徹底的に洗い出し、サードパーティに協力してもらうための仕組みやビジネスモデルを用意していきます。

簡単にダイジェストをご紹介すると、当時任天堂が使っていたマスクROM(カセット)に対して、ソニー・ミュージック(SME)が音楽業界で生産も流通もインフラも持っていたCD-ROMの優位性を活かし”コストが安い” ”容量が大きい” ”生産リードタイムがとても速い”という特性を徹底的に生かす事。

任天堂が採用していたマスクROMは”コストが高い” ”容量が小さい” ”生産リードタイムがかかる”ということで、製造タイトル数が制限されていました。

CD-ROMを採用することによりサードパーティの制限はとれ、新規のサードパーティも参入しやすくなり、それによりタイトル数も増え、価格も下がるという仮説をたて、ゲームと音楽と業界は違えどソフト業界にいるので営業もできるという大胆な仮説を作りあげました。

ハードは、当時ではワークステーションでもなかなか描画できない3Dゲームが、洗練されたコンピュータアーキテクチャ(GTEを要するCPU、GPUMemory、そしてライブラリー他)により、家庭向けの販売価格で実現可能であるという資料を久夛良木さんがまとめました。

当時のソニーにはキーデバイスとなる半導体は持っておらず、それこそハード部分はシリコンバレーの各社と折衝をしながら提案書が出来上がります。

余談ですが、当時プレイステーションのハードウェアデザインは、社外はもちろんのこと半導体グループをはじめ社内でもできっこないといわれていました。久夛良木さんは当時若くして、ソニーの3大ほら吹きエンジニアとよばれていたそうです。

その後、プラットフォームビジネスを行う上での法務的な課題、サードパーティとのビジネスモデルなどもまとめ、各種の数字を入れ込みビジネスプランを作ります。このビジネスプランもかなりワイルドなもので松竹梅のプランを作りはしますが、失敗すれば数百億のロスが出る、成功すれば数百億の利益が出るというようなビジネスプランです。

大賀社長へのプレゼンテーションの日、前述の資料をわかりやすくまとめてかなりの量のバックアップ資料とともに会議に向かいます。

この時は丸山さん、久夛良木さん、そして私のボスであり後にソニー・コンピューターエンタテインメント(SCE)の社長になる本社企画部門長の徳中 暉久さん、そしてスタッフの私をいれて7−8人のプロジェクトメンバーと大賀さんだけ。久夛良木さんの組織上の直属の上司や本部長(後にソニーCEOになる出井伸之さん)、管理系のコーポレートの人も参加しない、ある意味報告会のようなこじんまりした会議でした。

説明に対して、大賀さんはいろいろ質問をします。自ら日本でCBSソニーを立ち上げていたこともあり、丸山さんをはじめとするSMEのメンバーの事もよく知っており、質問もダイレクトにそして多方面に及びます。

とはいえ、毎月行われる少し重厚なソニー本社の経営会議とは違い、会話はややカジュアル寄りでソニー本社の会議とは全く違う、大賀社さんの顔を見ることができました。

そして、様々な言葉を交わした後に大賀さんはこう言い放ったのです。

「Do it ! これは進める。あと、体制だがこれはソニーとソニーミュージックの合弁の別会社でやりなさい。これはソニーの下でもソニーミュージックの下でもできないぞ」と。

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