『波よ聞いてくれ』は札幌を舞台に、スープカレー屋の店員であった鼓田ミナレ(こだ ミナレ 声・杉山里穂)が、ひょんな流れの中でその滑舌と怒濤のような話の繰り出し方を見込まれ、地方FM番組のパーソナリティーに抜擢されることから始まる。成り行きでの巻き込まれ形で進んでいく構成の中で、ラジオをめぐる人々とカレー屋をめぐる人々らとのコミカルなストーリーが展開する。
正直に書くと、僕は第1話を見てこのミナレというキャラクターにメロメロになってしまった。怒濤のしゃべり、言っていることの面白さ。うかつな性格。胸もでかい。原作ですでに知っていたキャラクターなのに、アニメによってさらに惹きつけられることになった。ミナレはとにかくしゃべる。どうでもいいことから何からをとにかくしゃべりまくる。原作コミックからしてミナレのセリフがドドドッと溢れる量だが、とにかくその勢いとそれでいて話のムチャクチャさが魅力だ。
だが同時に、第1話開始早々からある種の違和感のような物に気づかされた。と言っても悪い意味ではない。良い意味…「あ、こうだったんだ!」というこちらの聴力と受信能力が上がったような、そんな不思議な感覚。この感覚は前期話題をさらったアニメ『映像研には手を出すな!』を見たときにも感じたことだった 。
コミックや小説のアニメ化では、原作の面白さに加えアニメ化ならではの加味される部分も魅力となる。それは「あの画(キャラクター)が動く」「セリフをしゃべる」「音楽がつく」などなど様々だが、『波よ聞いてくれ』しかり『映像研』しかり、そういったプラスアルファの面白さや魅力という枠を超えた“拡張”とすら感じるものがある。原作それ自体が完成形であるのは書くまでもなく当たり前であるのだが、100だった原作が200にも300にもなるかのような。 おかしな例えではあるがアニメ化されることで原作が描いていたことが完全化されたかのような、そんな不思議な印象だ。
『映像研』では「アニメを作りたい」という主人公らのイマジネーションがまさにアニメーションとして動き出すその瞬間に、原作を読んだときに誰もが実際に見たかった光景が目の前に具現化した興奮があった。そして『波よ聞いてくれ』では、その具現化の興奮の大きなウェイトを占めているのがミナレのしゃべりだ。映像化ならではの映像演出も随所が面白いのだが、やはりこの作品においては“実際のしゃべり”がもたらすものがあまりに大きい。