May 01, 2020 column

『攻殻機動隊 SAC_2045』が描く現代の終わりとその先にある社会

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とはいえ、なぜ『SAC』は…いや公安9課は10数年というブランクを経て再起動をしたのだろう。たんに『攻殻機動隊』の新作、新シリーズアニメーションが望まれただけであるなら他のクリエイター、他の手段であってもかまわない。実際、『ARISE』はそれをやったし成功もした。だが、見ていると『SAC』が作り手にも僕らにも求められたことは理由があると感じる。必要性だと言ってもいい。
『SAC』シリーズには共通の構成パターンがある。それは「現実の現代的なすでに起こっている問題へのテーゼを反映させたいくつかの事件」というエピソードを積み重ねていき、それらのエピソードを「SF的なこれから我々の前に現れるかもしれない問題や課題へのテーゼ」という背骨(あるいはシリーズの軸)に繋ぎ合わせていく構成だ。

『2045』の経済戦争などはこのエピソード単位の事件・事象・設定や背景にあたる。現実とのリンクが強いこれらは、僕ら視聴者にとっての“現在まで”の現実世界だ。
では背骨たる軸は何かと言えば、作中でこの世界同時デフォルトが起こった原因や背景にあるとされている「ポスト・ヒューマン」と呼ばれる存在をめぐる物語であり事件だ。これは僕ら視聴者にとって“これから”を描く部分となる。

不況や恐慌、災害下における強権の成立。過度の自国第一主義が行き着くナショナリズム管理社会。こういったディストピアへの比喩として『2045』はジョージ・オーウェルの『1984年』を引用している。そしてちりばめられている、ポスト・ヒューマンに代表される“この先への視点・想像”。神山・荒牧監督らが本作で目指し、いま必要だと感じたから生み出そうとしている物は“2020年以降の『1984年』”であるのかもしれない。
そしてこれは公開時期のタイミングはただの偶然であったことはわかってはいるが、しかしそれでも現在のコロナ禍がもたらしている経済危機、グローバル化の崩壊や疑問、台頭する自国主義。これらが混在する状況がどうにもこの“2020年以降の”にオーバーラップして見えてしまってならないのだ。

今回配信開始となったのはシーズン1の全12話。公安9課の再編と、ポスト・ヒューマンをめぐるストーリーの序盤までが展開する。すでにシーズン2も決定しており、いったいあの先にどのようなストーリーと挑発が展開されるのか。“『SAC』的”な視点と命題の打ち出しに対し、作り手がどういった回答を見せるのか。とにかく続きが待ち遠しい。

「人類史上初 テレビの前で寝転がっていることが人類を救う」とは感染対策に功を奏しているニュージーランドの警察が発信した言葉だが、人類を救うためにもここは12話一気見などで外出自粛の時間を過ごすのもいいのではないだろうか。

文 / 岡野勇(オタク放送作家)