May 01, 2020 column

『攻殻機動隊 SAC_2045』が描く現代の終わりとその先にある社会

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ここで言う“『SAC』的”というのは「神山『攻殻』」という言葉に置き換えることも出来る。神山監督による『SAC』シリーズの大きな魅力は、SFという設定を使っての現代社会への視点、現代の社会問題へのアプローチの面白さにあった。
SF作品の魅力の1つは、カリカチュアすることで現代社会の問題を見えやすくする点だ。『攻殻機動隊』は士郎正宗の原作コミック、押井守の映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(95年)、神山による『SAC』シリーズ、黄瀬監督による『ARISE』と、それぞれが様々な視点からこのアプローチをしてきているが、とりわけ神山版は現実の現代社会とのリンクが強い。

たとえば、作品世界観の根幹にありシリーズすべての要でもある“ネットと社会”への考え方などはそれがわかりやすい。95年の押井守版は原作クライマックス同様の“人形使い事件”を核に構成・脚色がされているが、そこで描かれたのは「ネット(情報)との融合による人の高次への進化」だ。

原作、押井版(およびそれの実写化であったハリウッド版)における“ネットと社会”観は90年代の、まだネットに幻想があった頃のものだ。そこには隠されている社会の真実があり、その情報にアクセスすることで人の知性や意識はアップデートされていくという幻想。“人形使い事件”はその象徴であり最大の事例として描かれる。対して神山健治が『SAC』で描いた“ネットと社会”観は、すでに「ネットは道具としては便利だが、そこに本当に真実に迫った情報なんか無いし信用できないし、むしろそこにアクセスし続けることは人の意識を低いところに流していく」と描かれている。それは95年の押井版から02年までのたった7年間でネットに対する認識や幻想が大きく変化したことの証でもあった。

『SAC』の長編『SSS』で描かれた“傀儡廻(くぐつまわし)事件”は『SAC』世界における“人形使い事件”に相当するが、そもそものネットにおける情報の万能性やその幻想が失われた時代に移り変わった中、『SAC』版の草薙素子は原作や押井版の素子とは異なり、現実世界に身を起き続けることを選択した。

本作ではこの“ネットと社会”への考え方がさらに変化してきている。その変化をもたらしているのが社会への視点の変化だ。前作から10数年が経った『2045』では作中世界の社会そのものも大きく変化している。これまでのシリーズでも薬害問題や難民問題、高齢化社会など様々な社会問題を仕掛けとして取り込んできた『SAC』だが、本作でも世界経済の崩壊、経済格差、経済行為としての戦争、AIといった現実の現代的な問題要素が反映されている。社会が大きく壊れてもテクノロジーは進化していく以上、かつての幻想にあった「ネットがあることによる社会の利便」はマイナス方向にも振れ幅が大きくなり、歪みとなってしまっている。

他の社会への視点や背景も、より“現在”が反映された物となっている。作中では数年前に世界中の金融システムが突如停止し、世界同時デフォルトが起こったことが語られている。先進国はいずれも極度の格差に陥り、もはや世界規模の経済災害として大きな爪痕を残している。
ちなみに金融工学のシステム暴走による恐慌危機というのは絵空事ではなく、現実でも2010年5月6日にある企業の株価かわずか4秒の間に26ドルから1セントにまで下がった事を契機に世界経済が連鎖的な危機に陥る一歩手前にまでなった事件が起こっている。こういったことを踏まえても『SAC』が相変わらず、前記した「カリカチュアすることで現代社会の問題を見えやすくするSF」として再起動したことがわかる。

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