だが、90年代中盤以降はアニメーション、特撮ともにCGを用いた手法が主流となったのはご存じの通り。とはいえ、この手法に魅了されてきた作り手は世界中におり、現在でも多くはないものの、パペットやクレイによるアニメーション長編作品が制作されている。 近年もっとも精力的にストップモーションアニメ長編を生み出しているのはおそらくアメリカのライカで、17年に同スタジオの映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』が日本でもヒットをしたというのはちょっとした事件であった。このヒットはそれまで日本では興行的に冷遇されていたストップモーションアニメ映画に光明をもたらし、18年には『ぼくの名前はズッキーニ』、『犬ヶ島』といった長編がたて続けに公開されたことは記憶に新しい。ここに来て(ほんの少しだけ)ストップモーション・アニメーションへの追い風が吹き始めている印象だ。また、ストップモーション・アニメ映画は圧倒的に海外長編が主となっているのだが、この『ちえりとチェリー』は完全オリジナルの長編パペットアニメーション映画としては「日本初」の作品になるそうだ。(僕もパンフレットを読んで知り驚いたのだが)その点でもエポックとなる作品である。
多くの作り手や観客を惹きつけるストップモーションの、さらにパペット(人形)アニメーションの魅力とはなんなのだろう。『ちえりとチェリー』でも可愛らしい主人公・ちえりや、彼女のぬいぐるみから生まれたチェリー、猫やネズミ、さらにはモンスターまで。様々なキャラクターが魅力たっぷりに動く。見ていて目が離せない。動きだけではない。光のあたりかた1つによって、人形であるちえりの瞳に様々な感情や表情が生まれていることにもため息が出た。 今の技術ならCGでも“似たような”映像を作ることは可能だろう。しかしあえて気の遠くなるアナログ作業によって人形が動くことの面白さは、手描きアニメともCGとも別個のものだ。それはまるで人形に命が吹き込まれたかのようにすら思える。モノに神様が宿る“九十九神(つくも神)”という考え方があるが、ストップモーションアニメというのは映像上でこの九十九神を可視化する手法なのではないかと思うことがある。言葉どおりモノに命を吹き込む映像の魔法だ。その結果、1カット1つ1つの動きの全てに楽しさや暖かみが生まれ、画面の中で“生きた”キャラクターとなる。その魔法に知らず知らず、観客は惹きつけられてしまうのかもしれない。
見ながら、子供の頃にサンリオの人形アニメ映画『くるみ割り人形』(79年)を見たときの感動と驚きを思い出した。それまでもテレビや映画でストップモーションアニメはいくつも目にしていたが、あの映画は僕にとって特別だった。“人形が動く”ということの魅力は「コマ撮りをしている」といった理屈がわかっても、やはり不思議でならなかった。理屈では無いのだ。(同作の人形アニメーションを手がけたのが真賀里文子さんという日本における人形アニメの巨匠であることを知ったのはかなり後になってからだ)
僕が映画やアニメ、広義で言えば映像という表現手法そのものに大きく興味を持ち始めるきっかけとなった作品はいくつかあるのだが、『くるみ割り人形』もその1本だ。それと同じく『ちえりとチェリー』もまた、これを見た小さい子の何人かの中で確実に“なにか”が残り、“なにか”が生まれる作品だろうなと思わされた。テーマや物語への感動だけではなく、人形に命が吹き込まれるという映像の魔法そのものへの興味であり感動。そういった“なにか”だ。それを魂の糧だと呼ぶのであれば、この作品は間違いなくその糧となる力を持った作品だろう。見た人のうち何人かの人生を変えてしまうかもしれない映画というのがあるが、もしかするとこの作品もそうなのかもしれない。もし、あなたに小さなお子さんがいるのなら、親子で見て欲しいと思う。芽生える“なにか”は、大人にとっては小さくても子供にとってはおそらくとても大きいと思うのだ。