『メアリと魔女の花』(http://www.maryflower.jp/)
『借りぐらしのアリエッティ』『思い出のマーニー』を手がけた米林宏昌監督の新作。今作は、同じくスタジオジブリのプロデューサーであった西村義明と立ち上げたスタジオポノックの第一回制作作品だ。この経緯は宮崎駿監督の引退宣言とジブリの長編制作からの撤退というのが大きく、「予告を見ると『メアリ』ってジブリっぽいなあ」という印象もなにも、その受け皿という側面もあるので、「そりゃそうだ」となる。 正直、ジブリを引き合いに出してこの作品を語ることに若干の抵抗はある。この作品はあくまでもこの作品であるからだ。しかしどうしても、この作品はそのことから逃れられないのだとも思う。
ここ20年ほど、いくつかの劇場アニメを見ていた時に気になってしまったのが、「ああ、これは、誰かが途中で“もっとジブリっぽくできないか”とか言ってしまったんだろうなあ…」と感じられる作品があったことだ。そもそも、“ジブリっぽい”という言葉が使われる場合、そのほとんどは、正確には“宮崎駿作品ぽく”であり、さらに突き詰めればその多くは“『となりのトトロ』ぽく”か“『天空の城ラピュタ』ぽく”のことがほとんどだ。それらの上辺だけをマネされたって、観客には残念な印象しかない。
だが、『メアリと魔女の花』の場合は違う。
“ジブリっぽく”も何もこちらは“ジブリだった人たち”による作品で、正統なジブリの後継者だ。上辺だけをマネしていただけとは違う。今後はポノック以外のそういった“もっとジブリっぽく”は全てパチモノと同じになってしまった。ジブリっぽい作品を望むならポノックで制作すればいい。
それを考えたとき、西村プロデューサーや米林監督をはじめとしたスタジオポノックが背負っていくものは他の制作会社とは少し異なる。「スタジオジブリの技術を継承していく」
近年の細田守作品のヒット、そして昨年『君の名は。』『この世界の片隅に』のヒットと作り手たちの認知によって、長年注目されていたアニメ映画における“ポストジブリ”というクエスチョンには回答が出た。それは観客にとって「ほかにも面白いアニメはある」という選択肢に気づかせ「大人の観客も見られる日本のアニメ映画=ジブリ」という固定観念の時代が終わったことでもある。観客が何もジブリっぽいものを選ばなくても良くなった時に、米林監督たちはこの『メアリと魔女の花』という作品で挑んできたのだ。 ジブリを継承することは、画風のことなのか、作風のことなのか、画面のことなのか、ストーリーのことであるのか、観客層のことであるのか。すべてが課題となっていく。 そしてその上で「それでもなぜ、ジブリ的な技術を継承し維持していくのか?」、その中で「わざわざポノックというスタジオを立ち上げて新たな作品を作ることの意味は何なのか?」「宮崎駿作品でも高畑勲作品でもない、自分たちの作品は何なのか?」を探っていくことも課題となる。