女性のロードムービー
前科持ちになってしまったヒロイン鈴子が刑務所を出て各地を転々と回っていく蒼井優主演の『百万円と苦虫女』(08)。ロマンスカーで出会った万引き犯と小田原や箱根を旅する大島優子主演の『ロマンス』(15)。タナダユキ監督はこれまでも女性のロードムービーを描いてきた。親友の遺骨を抱え旅をするヒロインを描いた『マイ・ブロークン・マリコ』も、タナダユキ的な「女性のロードムービー」の系譜に連なっている。
きらびやかでチープな地方のラブホテルに辿りついたとき、『ロマンス』のヒロインは、ロードムービーとしての疲労を纏いはじめる。カメラの手前にいる桜庭(大倉孝二)によるモノローグと、ピンボケぎみに桜庭の背後に無言で佇む鉢子(大島優子)を同一フレームに収めた長回しシーンの素晴らしさ。タナダユキの描くロードムービーでは、ヒロインが物語=人生の疲労を纏いはじめる瞬間、または、めまぐるしい動きに疲れて言葉が少なくなっていく瞬間に、不意打ちのような美しさが露出する。
激情を疾走するように生きるシイノの「動」と「静」。このコントラストを描く点において永野芽郁ほど適確な若手俳優もまたいない。永野芽郁は、たとえば橋本愛と共演した『PARKS パークス』(17)においても、予測不能な小動物であるかのように、映画を駆動させる天性の身振りを披露していた。瀬田なつき監督は、まだハイティーンだった永野芽郁の演技が持つ予測のつかなさを、映画を突き動かす原理であるかのようにドキュメントしていた。
『マイ・ブロークン・マリコ』の永野芽郁は、その天性ともいえる予測のつかなさを保ちながら、デフォルメ化とは無縁の漂白されていないザラザラとした生の輝きを獲得している。本作でシイノによる「静」が立ち現れる瞬間の不意を突く美しさに注目してほしい。
初めてのバイト代で買ったドクターマーチンの靴を履き、遺骨を抱えマリコと「最初で最後の旅行」をするシイノ。「まりがおか岬」に向かう途中、バスに乗ったシイノは、一人ではぐれるように席に座っている女子高生に遭遇する。原作にはないこのシーンで、シイノはこの女子高生を見つめながら、何かを投影させている。このとき女子高生はいわば真っ白いキャンバスとなって、シイノの描く物語が彼女に投影されている。激しさから解放されたようなまなざしで女子高生を見つめるシイノ。しかし彼女の内側には、まなざしの静けさと相反するような激しい動的なものが宿っていることが分かる。
このシーンは伏線となって、本作のハイライトともいえる崖の上のシーンにおけるシイノの決定的なアップへとつながっていく。このときの無言で遠くを見つめる永野芽郁のアップ。ロードムービー=人生の疲労をまるごと纏ったようなそのまなざしの美しさ。微かに髪を揺らす潮風さえも、ここでは彼女の味方をしている。このショットには、永野芽郁による演技のコントラストが最も美しい形で結実した瞬間が捉えられている。