法廷に現れた男は、史上稀に見る凶悪犯か、それとも救世主か。作家・葉真中顕(はまなか・あき)のデビュー作『ロスト・ケア』(光文社)は、介護問題や社会格差といったシリアスな題材を扱いながらも、さまざまなトリックが仕掛けられた極上のミステリー小説だ。前田哲監督によって、10年越しで映画化された。
金曜ドラマ『100万回言えばよかった』(TBS系)やNHK大河ドラマ『どうする家康』での好演も話題となった松山ケンイチが、高齢者42人を殺害した容疑が掛けられる介護士に。対する検事には、昨年オンエアされた社会派ドラマ『エルピス 希望、あるいは災い』(フジテレビ系)で改めて実力を評価された長澤まさみが扮している。
初共演となる松山ケンイチと長澤まさみが、本作でがっぷりと四つを組んだ。原作とは異なるラストシーンまで目を離すことができない、非常にスリリングな犯罪サスペンスになっている。
ある民家で、ひとり暮らしをしていた老人と派遣介護センターの所長の死体が同時に発見されるという不可解な事件が起きる。地方検察庁に勤める検事の大友秀美(長澤まさみ)は、この事件を担当することに。大友と事務官の椎名(鈴鹿央士)が調べていくうちに、この介護センターでは高齢者の死亡率が他の介護施設に比べて異様に高いことが判明する。
やがて捜査線上に、この介護センターで働く介護士の斯波(松山ケンイチ)が浮かび上がる。献身的な仕事ぶりで高齢者やその家族から慕われていた斯波だったが、大友が取り調べをするとあっさりと殺人を認めた。しかも、斯波の手によってあの世に送られた高齢者は、42人にも及ぶという。どれも事件性はなく、自然死もしくは病死と判断されたケースばかりだった。
原作小説ではクライマックスとなる「第五章」まで犯人が誰か分からない展開が続くが、映画では松山ケンイチ演じる介護士の斯波が容疑者であることを前半で明かしている。勤勉な介護士である斯波は、なぜ高齢者たちを次々と殺めることになったのか。犯罪史上に残るサイコパスなシリアルキラーなのか。原作のクライマックスをクローズアップした形で、映画は独自の展開を見せていく。
法の番人である検事・大友は、斯波が抱える心の闇へと踏み込むことになる。白髪姿の松山ケンイチに、毅然とした表情の長澤まさみが迫る。2人の対決シーンがたまらなく刺激的だ。
聖書の「黄金律」に基づいた哀しい殺人
原作小説と映画版、共に物語の大きなモチーフとなっているのは「黄金律」と呼ばれる聖書の一節である。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」
(マタイによる福音書 第七章 十二節)
キリスト教信者でなくとも、この言葉は耳にしたことがあるだろう。他者に愛を求めるのではなく、みずからが愛を与えなさい。この考えはキリスト教に限らず、他の宗教でも根幹になっていることから「黄金律(ゴールデン・ルール)」と呼称されている。
斯波の自宅アパートから、聖書が見つかった。斯波はクリスチャンではなかったが、どうやら「黄金律」の部分を繰り返し読み返していたらしい。体の不自由な高齢者たちを殺害してきた斯波を糾弾する大友に対し、斯波は冷静に反論する。殺人ではなく、喪失の介護(ロストケア)なのだと。重い認知症や障害で苦しむ高齢者とその介護に疲れ果てた家族を、斯波は救ったのだと主張する。
斯波は独自の判断で「黄金律」を実践していたことになる。ある意味、サイコパスよりも危険な存在だ。作品ごとに役になりきる、松山ケンイチでしか演じられないキャラクターだと言えるだろう。
斯波が「黄金律」を実践するようになる回想シーンも見逃せない。斯波の父親をベテラン俳優の柄本明が演じており、男手ひとつで息子を愛情いっぱいに育て上げたことが描かれている。柄本の名演によって、斯波が哀しき「黄金律」の実践者へと変貌していった過程がリアリティーを持ったものとなっている。