Aug 20, 2017 column

第2回 『娘と私』から考える、なぜ朝ドラのお父さんはダメ人間が多いのか?

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お父さんは逃げたくなることもある

 

現在放送中の朝ドラ『ひよっこ』の話の発端は、主人公みね子(有村架純)の父・実(沢村一樹)が、東京に出稼ぎに行ったっきり記憶喪失になって行方不明なったこと。お父ちゃんの代わりにみね子が東京に出稼ぎに来て、いろいろな人たちと出会いながら、全156話(予定)中の3分の2まで来て、ようやくお父ちゃんが見つかり、茨城に戻る。ところが、行方不明だった2年半、彼は、有名女優(菅野美穂)と暮らしていたのだ。記憶喪失とはいえ、ずっと彼を心配して待っていた家族の気持ちは複雑で……。

朝ドラに出てくるお父さんや旦那さんが、いなくなったり、事業に失敗したり、何かと主人公に負荷をかける役割を背負わされがちなわけは、彼らがしっかりしていると、女が活躍するきっかけができにくく、女のドラマにならないからだろう。最もポピュラーなのは、父や夫が働かないから、女が働くしかなくなるという流れ。『ひよっこ』の場合は、そこに少々ひねりが加わり、家族思いの働き者で、申し分なかったお父さんが、いったいなぜいなくなってしまったの? というミステリー風味に。きっと記憶喪失になってしまったのだろうと、視聴者はなんとなく予想していて、実際その通りになった。劇中では、主人公たちが、お父さんは、あまり豊かではない生活や、自分たちがいやになってしまったのではないかと心配し続ける。

実際に、過去の朝ドラには、そんなお父さんもいたのだ。
第67作『まんてん』(02年)では、お父さん(赤井英和)が、今の生活から逃げて、旅芸人になっていて(旅芸人生活もかなり大変だと思うが……)、10年後にようやく娘(宮地真緒)と再会するも、その時、妻(浅野温子)は既に再婚していて、夫婦が再会するまでにはさらに10年を要することになる。『まんてん』も観ていた視聴者としては、『ひよっこ』のお父ちゃんが今の暮らしから逃げた説もないこともないと思ったかもしれない。登場人物に漫画家(漫画家の山田花子ではなく芸人の山田花子が演じた)がいて、主人公をモデルにした漫画を描いているところまで、『まんてん』と『ひよっこ』が似ているので余計に。宮本信子もどちらにも出ている。

朝ドラは97作もあるので、内容が似てしまうのは仕方ないことで、私はそれを、拙著『みんなの朝ドラ』で、朝ドラはもはや伝統芸能に近づいているのではないか、と書いた。先達の形作ったものをベースとして引き継ぎながら、創意工夫を加えて、進化させていくことが、朝ドラなのではないかと。

 

朝ドラ第1作の原作者が、今、ブームになっている

 

前置きが長くなったが、そこで、栄えある朝ドラ第1作『娘と私』(61年)について、今回は考えてみたい。 原作は、現在、NHKで放送されている土曜時代ドラマ『悦ちゃん 昭和駄目パパ恋物語』(土曜18時5分〜)と同じ獅子文六。彼は、1930年代から60年代にかけてユーモア小説家として人気があり、たくさんの作品が映画やドラマになっていた。朝ドラ9作目『信子とおばあちゃん』(69年)の原作も獅子だ。

時は流れ、長らく、作品が絶版になっていた獅子作品の復刊が、2013年からちくま文庫ではじまったことを機に、再評価され、再び、ドラマ化もされることになった。

獅子文六は、日本の老舗劇団・文学座の創始者のひとりで(本名・岩田豊雄の名で活動)、海外の戯曲を翻訳したり、渡欧体験(最初の妻はフランス人)もあったりするからか、文章が、いわゆる軽妙洒脱で、読みやすく、登場人物も個性豊かで魅力的だ。私も復刊に際して『悦ちゃん』や『自由学校』『コーヒーと恋愛』などを読んだら、するする読めるし、愛すべきダメ人間が出てきて、それがとても好ましい。とりわけ『悦ちゃん』は、登場人物たちのコミカルな言動が楽しい。パパは売れない作詞家で、妻に先立たれた後、父娘ふたりの生活は決して豊かではない。幼い(10歳)悦ちゃんのために、新しいお母さんを作ろうと努力もするが、なかなかうまくいかない。そんな日々の悲喜こもごもが描かれる。
ドラマ版も、原作ままではないものの、原作の軽妙さの中に、父と子の愛情が描かれた、ミルクをたっぷり入れたカフェオレみたいな感じで、楽しめる。とりわけ、悦ちゃん役の平尾菜々香が聡明そうでかわいい。