Nov 02, 2024 interview

草野翔吾 監督が語る 素敵な役者さんたちが集まってそのまま自然体で演じてくれた『アイミタガイ』

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ウエディングプランナーとして働く梓のもとに、ある日突然、親友・叶海(かなみ)の訃報が届く。その死を受け入れられず、恋人である澄人との結婚にも踏み出せない梓は、叶海にメールを送り続ける。一方、叶海の両親も、何とか前に進もうと、生前の娘の足跡を辿る。誰かを想った優しい「秘密」が、立ち止まっていた人たちの心を動かし、さらにつながって、やがて自分のもとに返ってくる。何気ない毎日を優しく照らすあたたかな物語が誕生した。

2013年に発表された中條ていの短編小説「アイミタガイが、1本の映画になった。市井昌秀監督が、骨組みの脚本を書き、それを佐々部清監督が引き継いで映画化される予定だった。ところが2020年に佐々部監督が急逝、映画化の流れは止まってしまう。この企画を受け継いだのが、話題作を手がける若手の草野翔吾監督。梓役に黒木華、親友の叶海役に藤間爽子、澄人に中村蒼を迎え、ほかに西田尚美、田口トモロヲ、風吹ジュン、草笛光子ら実力派が顔を揃えて、心あたたまるヒューマンドラマを紡いでいく。

予告編制作会社バカ・ザ・バッカ代表の池ノ辺直子が映画大好きな業界の人たちと語り合う『映画は愛よ!』、今回は、映画『アイミタガイ』の草野翔吾監督に、本作品への思いなどを伺いました。

思いのバトンを受け取って

池ノ辺 監督、なんだか楽しそうですね。

草野 そうですか。

池ノ辺 完成披露で皆さんに観てもらって、手応えを感じたからですか。

草野 どうでしょう(笑)。中條先生には喜んでいただけて、それはよかったと思っていますけど。

池ノ辺 試写を観終わって皆さん泣きながら出てこられてますからね。想いが伝わっていると思います。まず、草野監督がこの映画を作ることになった経緯をお話しいただけますか。

草野 宇田川プロデューサーから「佐々部清監督の企画として進んでいたものなんだけど」と、佐々部さんが書いていた脚本を手渡されたのが最初です。もともとは市井昌秀さんが書いていて、途中で佐々部さんにバトンタッチされて映画化しようとしていたけれど、いろいろ成立する前に佐々部さんが亡くなられて、しばらく止まっていた。その脚本が僕のところに回ってきたということです。僕は市井さんとも佐々部さんとも面識がなかったので、なぜ自分なのかな、とは思いました。

池ノ辺 じゃあ、最初はびっくりしましたよね。

草野 驚きました。脚本を読み始める時も緊張しましたね。佐々部清と書いてある脚本ですから。でも読んでみると、近年稀に見るくらいのストレートなヒューマンドラマが描かれていました。ちょっとしたギミック部分にはきれいに騙されましたし。僕はとてもおもしろいと思って、自分にできるのなら、ぜひ監督をしたいと思いました。

池ノ辺 良く出来た脚本だったと。

草野 僕は自分で脚本を書くこともあるんですが、それでもここ数年は、原作があってそれを脚本にして、という流れでした。そこでやれそうかどうかというのは、原作を読んだ時に、おもしろいと思うと同時に、自分が監督をやるとしたらのアイデアが膨らむかどうかなんです。それが湧いてきたら自分がやる意味があるかな、力になれるかなと思うんです。今回の脚本を読んだ時には、「自分が監督をやるんだったらこうしたい」というアイデアがわっと浮かんできたんです。それも決め手になりました。

池ノ辺 今回、監督・脚本となっているということは、そこで浮かんだものを反映させて脚本も手直ししているということですか。

草野 もちろん自分の中のど真ん中には、佐々部監督がやろうとしていたことをちゃんと汲み取ってやりたい、そういう気持ちはありました。ただ、いかんせんまだ、決定稿ではなく、それで撮影できるという状態の脚本ではなかったんです。そうなる前に止まっていたようですね。それで、まず決定稿にしていくことから始めました。その時に自分のアイデアも足したりして‥‥一つ変えると芋蔓式に他も当然変わっていって。ですから結果的にほとんどのところで手を入れてセリフを足したり引いたり、シーンを入れ替えたりということをしました。市井さんの脚本も見て、最終的には原作に戻って、原作が言おうとしていることはきちんと汲み取れているだろうか、入れるべき要素が落ちていないだろうか、そこのところも確かめながら決定稿にしたという感じです。

池ノ辺 そうやってバトンが渡されて実現していったということは、皆さんの中にこれを映画化したいという気持ちがすごく強くあったんでしょうね。先ほど監督は「近年稀に見るヒューマンドラマ」とおっしゃいましたが、本当に悪い人も誰1人出ていなくて、素直に感動できる。確かに最近はなかなかない映画ですよね。

草野 佐々部監督は、結構そういうものを撮られていたんです。というのも、この脚本に向き合う中で、改めて監督の作品を一から全部見直したところ、特に近年は、本当に悪い人が1人も出てこないような映画を撮っていました。しかもそれはたまたまではなく、信念として強い気持ちを持ってそういう映画を作っていたんじゃないかと想像できるんです。僕自身も、悪い人をただ悪いように描くということはやっていなくて、こんなに悪いことをしても本当はこうなんじゃないかとか思ってしまう。どうしてもシンプルな悪役にはならない。もちろん佐々部監督のような強い気持ちでそうしたわけではないですが、僕もそんなには離れていなかった。だからこそこの映画の企画が回ってきたのかなと思いました。

池ノ辺 「こんな世の中だからこそ」という想いが、佐々部監督にあったのかもしれませんね。そうやってバトンを受け取ったわけですね。