福島県浪江町津島。故郷を追われ、10年以上を経た元住⺠たちへのインタビューで構成されたドキュメンタリー映画『津島ー福島は語る・第⼆章ー』が公開される。この度、本作の予告映像が公開された。
福島第⼀原発事故後、30km離れた⼈⼝約1400⼈の⼭村に⼤量の放射性物質が降り注ぎ、今なおほとんどの地域が「帰還困難区域」に指定されている、福島県浪江町津島。
「100年は帰れない」と⾔われた故郷・津島の歴史と、そこで⽣きてきた⼈々の記憶と感情を映像化したのは、『福島は語る』の⼟井敏邦監督。
裁判記録「ふるさとを返せ 津島原発訴訟 原告意⾒陳述集」に記された住⺠たちの⾔葉に衝撃を受けた⼟井監督は、「この声を映像で記録したい」と原告32名の元を訪ね歩き、10ヶ⽉にわたるインタビューを敢⾏。総勢18名による、全9章、3時間を超える圧巻の語りが記録された。
この度公開された予告映像では、住⺠たちが居なくなった⼭村の美しい⾃然とともに、「故郷・津島」について涙ながらに語る元住⺠たちの姿が映し出される。⻑年暮らしてきた故郷を離れるということが何を意味するのか 。先祖が開拓した⼟地を受け継ぎ、守ってきた⼈々の思い。豊かな⾃然や古くから伝わる伝統芸能。暮らしを⽀え、⼈々を⽀えてきたあたたかな地域コミュニティのつながり。原発事故によって有形無形のたくさんのものが半永久的に失われてしまった事実が淡々と伝わる。
▼⼟井敏邦監督
「津島の記録映画を作りたい」と私を駆り⽴てたのは、1冊の裁判記録だった。そこには、32⼈の原告たちが裁判所で陳述した、家族の歴史、原発事故による家族と⼈の⼼の破壊、失った故郷への深い想いが切々と綴られていた。「あの原発事故は住⺠の⼈⽣をこれほどまでに破壊していたのか」と、私は強い衝撃を受けた。「この陳述集の声を映像で記録したい」 それが映画「津島」制作の原点である。
2021年春から、私は陳述集に登場する原告たちを訪ね歩き始めた。横浜から福島まで⾞で往復し⾞中泊を繰り返す、ほぼ 10カ⽉がかりのインタビューの旅だった。
“津島”は、⼈⼝約 1400⼈の問題に終わらない。「多数派の幸福、安全、快適さのために少数派を犠牲にする」在り⽅への、津島住⺠の“異議申し⽴て”であり“抵抗”だともいえる。そういう意味で、“津島の存在と闘い”は⼩さな⼀地域の問題ではなく、⽇本と世界に通底する“普遍的なテーマ”を私たちに問いかけていると私は思う。「『フクシマは終わったこと、なかったこと』にされてたまるか!」。映画の中で涙ながらに語る証⾔者たちの声の後ろに、そんな悲痛な叫び声を私は聞いてしまうのである
映画『津島ー福島は語る・第⼆章ー』は、2024年3月2⽇(⼟)より全国順次ロードショー。
浪江町津島は福島県の東部、阿武隈⼭系の⼭々に囲まれた⼈⼝約1400⼈の平穏な⼭村だった。福島第⼀原発から北⻄に30キロも離れているにもかかわらず、2011年3⽉11⽇の事故直後に⼤量の放射性物質が降り注ぎ、地域の⼤部分が「帰還困難区域」に指定されたまま、現在も多くの住⺠が帰れずにいる。「100年は帰れない」と⾔われた故郷・津島の歴史と、そこで⽣きてきた⼈々の記憶と感情。総勢18名による、全9章。圧巻の語りの数々が記録されたドキュメンタリー。
監督・撮影・編集・製作:⼟井敏邦
配給協⼒:リガード
©2023 DOI Toshikuni
©MASAYA NODA
2024年3月2⽇(⼟) Kʼs cinema ほか全国順次ロードショー
公式サイト tsushima