レジェンド声優インタビュー
緒方賢一×平野文 (前編)
arranged by レジェンド声優プロジェクト
声優:緒方賢一
声優:平野文(聞き手)
大好評レジェンド声優インタビュー第6回目は、レジェンド声優きってのダジャレマスター・緒方賢一さんが登場。29歳の遅咲きデビュー以降、コワモテの悪役キャラから、かわいらしいマスコットキャラまで、幅広い役を演じてきた緒方さん。その「レジェンド」を、『うる星やつら』ラム役で知られるレジェンド声優・平野文さんが聞き出します!!
- 平野:
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私にとって緒方さんは「お父様」(『うる星やつら』諸星あたるの父)なんですけれど、実際には本当に色々な役をおやりになっていますよね。そこでまずは、緒方さんの“これまで”をお伺いしたいと思います。ご出身は福岡県田川郡で、芸能界に入るために上京されたと言うことですが、それはどういう経緯だったのですか?
- 緒方:
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福岡時代は家業を継ぐために板前の修行をしていたのだけれど、そこの封建的なやり方に反発して「朝逃げ」しちゃったんだよね(笑)。その後は炭鉱のバー(編集部注:当時の田川郡は産炭地として発展)とかで働いたりしていたのだけれど、時代の流れで炭鉱がダメになっちゃってね。じゃあどうするかって考えた時、人を笑わせるのが好きだったので、喜劇役者になったら良いんじゃないかって思ったんだよ。
それでさっそく、当時人気があった伴淳三郎さんに手紙を出したりしたんだけど、当然返事はなくてさ(笑)。
- 平野:
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当時はどういった方々が人気だったんでしょう。
- 緒方:
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1960年代だからだいぶ昔だよね。花菱アチャコさん、横山エンタツさん、由利徹さん、もちろんエノケンなんかも人気だったね。堺正章さんのお父さんの堺駿二さんも面白かったな。名前を挙げていくだけで懐かしいなあ。
- 平野:
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残念ながら伴淳三郎さんからはお返事がなかったわけですが、その後、どういうツテを頼って上京されたんですか?
- 緒方:
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演劇方面には全くツテはなかったんだけど、同郷の友人が何人も上京していたから、なにがしかの足場はあったんですよ。完全にツテがなかったら怖くて上京なんかできなかったよ。けっこう臆病ものなんだから(笑)。
で、上京後は、まず、いわゆる「三大劇団」の入団試験を受けて、劇団民藝、俳優座、文学座、全部落ちて(笑)。やっぱり高校を出てなかったのがマズかったんだろうって、そこから定時制高校を受験してね。実はそこも一度は不合格になっちゃったんだけど、運良く補欠で入学できたんだよ。演劇部のある高校だったので、そこで基礎的なことを学べたのは良かったね。
- 平野:
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その後、劇団には入団できたんですか?
- 緒方:
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高校卒業後、劇団東演の演劇教室に入っていたんだけど、そこの演出家だった下村正夫さんの奥様がたまたま田川の出身でね。懐かしいって喜んでもらえて、もう劇団の入団試験は終わってしまっていたんだけど、特別に参加させてもらうことになりました。これも高校と同じで補欠ですね。ほとんど補欠なんだ、僕は(笑)。
- 平野:
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いよいよ劇団入りできたわけですが、そこではどんなお芝居を? 喜劇、笑いをやりたかったんですよね。
- 緒方:
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それはそうなんだけれど、自分はまだ基礎もできていなかったので、まずはどんな芝居も一生懸命やって、一定水準以上までレベルアップすることが先だと。だから、一時期はシュールレアリズムとか、訳の分からないこともどんどんやりました。劇団東演はイデオロギー的なものが主だったし、よその劇団で客演した時にはベケットとかイヨネスコ(共に不条理演劇の代表的劇作家)みたいなものもやりました。友達からは「お前のところの芝居は意味がわからんからもう行かない」って大不評でしたけどね。
その後、徐々に児童劇団の方に軸足を移して、大衆演劇的なものもやれるように。この辺りから当初やりたかった喜劇に取り組めるようになりました。
- 平野:
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何にせよ、緒方さんのベースは「舞台」なんですね。そこからどういう経緯で声優をやることになったんですか?
- 緒方:
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私の出た舞台を見たテレビもやっている演出の方が「お前、面白い声しているから声優やんないか」って誘ってくださったんですよ。ただ、一番最初はアニメじゃなくて洋画の吹き替え。『輪廻』という映画でした。
- 平野:
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その演出の方が、緒方さんにお声がけした気持ち、すごく分かります。特徴的で素敵なお声ですよね。
- 緒方:
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いやいやいや……若い頃は私、自分の声大嫌いだったから(笑)。変な声で嫌だなぁってずっと思ってた。この年になってからですよ、自分の声を愛せるようになったのは。
- 平野:
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でもやっぱり緒方さんはその声じゃないと(笑)。そして、声優デビュー、いかがでしたか?
- 緒方:
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なにしろ初体験だったので大混乱でした。大した数のセリフじゃないから、とにかくそれを言えばいいだけのはずなんだけど、全く思うようにできなかった。ただ、その後にやったアニメ『恐妻天国(原始家族フリントストーン)』(1961年)の仕事のギャラがすごく良くてね。セリフ2つで、なんと2000円も貰えちゃった(1961年の大卒初任給は約1万5000円)。それで味をしめてもっと声優の仕事をやっていこうと。だから、不純な動機だったんですよ、最初は(笑)。